馬印櫓跡

馬印櫓跡([大坂城  遺構・復元物])

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馬印櫓跡の口コミ情報

2019年07月05日 源山城守@ポンコ2…


馬印櫓は、大坂の陣で徳川家康が使用した馬印が保管されていることに由来します。
ここに保管される前は、天守閣に保管されており、東ノ具足方預櫓と呼ばれてました。(本丸の櫓名は、糒櫓・月見櫓など一部を除き、●●方預櫓という決まった名前がなかったようです)

この馬印が保管されてた天守も、1665年、最上階の鯱に落雷・炎上しますが、旗本の中川帯刀が炎の中に入り、馬印を抱えて窓から飛び降り、焼失を免れました(中川帯刀は「粉微塵」に、跡取の嗣子は加増され大身旗本となったそうです)
その後、数奇屋前櫓(具足方預片菱櫓、本丸西側の空堀・水堀境目付近)で102年保管された後、馬印櫓で保管されました。
なお、歴代の大阪城代は、赴任時にこの馬印に御馬験拝見というセレモニーがありました。
また、第一次長州征伐のために入城した14代将軍徳川家茂も、この櫓で馬印を拝観したと記録があります。
こうして大事にされてきた馬印も、15代将軍徳川慶喜が大坂城脱出後の混乱の大火で、櫓と共に焼失したようです。(江戸町火消の頭領の新門辰五郎が火災前に持ち出し、江戸に運んだという真偽不明な話があります)

幕末の古写真では、三層三階建でした。
下の一層目に石落しが東向き設けられ、
二層目には、石落しを受ける形で千鳥破風、南面にも千鳥破風があり、
三層目の最上層には唐破風が設けられてました。
この意匠は、他の三層櫓とほとんど変わりません。
下の一層目の平面は7間×6間の大きさで、今も残る二ノ丸一番櫓とほぼ同じ大きさです。

二ノ丸の東、雁木坂付近から内堀越しに見ると、32m(水面から24m)で日本一の高さの石垣南横矢掛の、周囲より2~3石分高く積んでいるところが馬印櫓です。
本丸内では、ミライザ大阪と御金蔵の間を抜けると、木陰の案内板とともに2m弱の高さの櫓台があります。
石垣は抜け石が見られたり、火災による花崗岩の天端石や隅石など多くの石が熱割れや亀裂など、破損してます。また、全体的に曲がって不同沈下した様子も伺えます。

馬印櫓台に赴かれる際は、低い柵はあるものの、落ちないようご注意下さい。

参考文献「大坂城全史」中村博司著


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