青屋門外枡形
青屋門外枡形([大坂城 遺構・復元物])
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青屋門外枡形の口コミ情報
2020年05月23日 源山城守@ポンコ2…
4つの虎口のうち、JR大阪城公園駅や地下鉄「大阪ビジネスパーク駅」から最寄りにある青屋口。
青屋口は搦手にあたり、大阪城二ノ丸の北東に位置する出入口で、当時は東外堀と北外堀が青屋口周囲でつながっており、その堀の上に算盤橋が架かっていて、普段は虎口側に引き入れた状態でした。
他3つの虎口と異なって、外側に突き出す外桝形となっており、青屋門はその桝形の内側に建ってます。
出桝形となった理由は、鬼門にあたるため縄張に角を設けたなどの推測がありますが、不明です。
大坂城再築1期工事の1620年に普請され、当時は青屋口に土蔵造の焔硝蔵が設置されました。
1660年6月18日18時頃、青屋口に落雷があり、焔硝蔵が大爆発しました。岡本良一著「大坂城」によると、焔硝蔵には火薬21,985貫600匁(約82.5㌧)、鉛玉431,079発、火縄36,640筋があったとのことです。
この大爆発により、
・城内では、青屋口は粉砕、山里曲輪は櫓・多聞櫓・加番小屋、二ノ丸東側の三加番小屋や東外堀に面した石垣中央部分の崩壊、本丸天守二重目に20人持大石飛来、本丸千畳敷屋根に柱が突き刺り、玉造定番屋敷破損、大手門近くに大石落下などの被害
・また市中の民家1481軒倒壊
・15㌔先の生駒山暗峠付近に青屋口門扉が飛来
・死者20数名、負傷者百数十名の人的被害
などの大惨事となりました。
6月18日が豊臣秀吉の命日のため、当時の「武門諸説拾遺」には「如此の首尾は雷のしわざにてはあるまじき」とあり、秀吉の祟りやなど噂されたと。
城代の陸奥磐城の内藤忠興に天守、丹波篠山の松平康任・尼崎の青山幸利・高槻の永井直清等がその他の修復にあたり、同年10月に工事完了しました。
今残る青屋口枡形は当時のものです。
その後、明治維新の大火により被災し、柱だけ焼け残りました。残った柱を使い、陸軍が屋根だけを取り付けましたが、1945年の空襲で再び焼失しました。
今の青屋門は、1969年に大阪市が残材を用いて上部に櫓を乗せる独立した櫓門を再建しましたが、図録「描かれた大阪城、写された大阪城」によれば、江戸時代は櫓部分がさらに北西の石垣沿いに長く伸びていました。
通りかけた際のご参考まで。
2020年04月19日 【城郭道】たっきー
大坂城青屋門は徳川幕府が1620年に大坂城再建の際に築き、戊辰戦争で屋根が焼失。柱だけ残り、その後、明治時代に陸軍が屋根を改築したものの、第二次世界大戦でまた焼失。1969年、大阪市が残材で再建し、今に至るそうです。
青屋というのは石山本願寺の青屋町から来てますが、この青屋というのは染物屋から来ているそうです。
2019年06月17日 源山城守@ポンコ2…
二ノ丸に4ヵ所ある枡形虎口のうち、唯一の外枡形。今は土橋風の道になってますが、かつては東外濠で囲われており、算盤橋がかかってました。明治の陸軍車両通行のために前面が埋め立てられ、現在に至ってます。