東外堀

東外堀([大坂城  遺構・復元物])

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東外堀の口コミ情報

2019年10月10日 源山城守@ポンコ2…


東外堀(約3.8ha)は、大正初期から砲兵工廠拡張に伴い軍事用として埋められ、戦後は運動場(ラグビー場)として利用されていたが、平成に入り3年かがりで1996年に大部分が復元されました。
(北外堀とつながらず、また巽櫓や玉造口土橋下の大阪府警射撃場跡も未復元)
大正の埋立では、杉山(算用曲輪)を削り取った土で埋め立てられました。
(徳川期の再普請の際に、外堀の掘削で出てきた土砂が杉山に投棄されてたので、埋立は元の地に還る?)

豊臣期より、東外堀がある東側は湿地帯で、当時から水面にぽつんと「鷺島」が浮かんでるような地でした。

「元和六年案紙」よれば、徳川期1期工事の石垣・堀の普請では、普請総奉行の藤堂高虎がこの場所は地盤(地心)が悪く普請が難しい場所のため、北國衆(加賀前田家や越前松平家など)の技術力を危ぶみ、自分が担当したいと幕閣に申し出を行っています。
それに対し、北國衆は引き受けた面子があるから自分らがすると主張し、対立した様子が伺えます。

~続く~

2019年10月10日 源山城守@ポンコ2…


●「元和六年案紙」の藤堂高虎が酒井忠世ら江戸幕閣宛の書状
『態致言上候、一鷺池青屋口の地心悪所六十間御座候、
水をせきかゑさせ、根石各見申候へ共、水ふかく御座候而、
根石よく見届不申候、天気あかり右の所、
北國衆町ばの水かゑ切根石の様子、内にて御座候、
然者各石かきあまりの御功者にて無御座候問、一段無心一冗存候僚、
私六十問の分うけ取、水をもかゑほし、ね石見居、
穴生又ハ功者の者共申談、せひ共っきとめ可申と存へも申渡候、
悪所無心元所を無功成衆へ相渡、以来石かきそんし候ヘハ、
且ハ御ふしんの邪摩、如何御座候僚、
借用念申上候、但私仕候とても地心悪所候係、
如何可在之ハ不存候ヘ共、北國衆被成候高石かきも
各如割持意仕申候事よりハよく御座候ハん哉と申上儀ニ御座候』

●「元和六年案紙」の戸田氏鉄ら大坂城再築作事奉行から藤堂高虎宛の書状
『北國衆被申候ハ、右の所請取候町ばにて御座候問、
藤堂和泉へ相渡候儀、如何候問、ぜひ共被仰付候
様ニと、北國衆被申候』

その結果、東外堀の普請は、当初担当の北國衆が行っており、「前田家譜」には、本多政重・横山長知らが普請完了を前田利常に報告したと記録されており、また当時の「大坂城普請丁場割図」にも北國衆の名前が残されてます。

なお、復元工事の際、越前松平家が担当した普請箇所で、高虎の心配通り、石垣の崩落した痕跡が堀底で確認されてます。
崩落後の再普請は、久留米有馬家がやりたいと願い出て担当しました。
また、前田家が担当した石垣も奉行からズレを指摘され、本多政重は「利常の面子潰したから切腹する」と言い立て、一騒動起きたと言う記録が加賀に残されてます。
原因は前田家の準備不足だそうです。

今では、トライアスロンの水泳競技場として、本来の役割と異なる利用をされたりしてます。
普段より、東にある近くの中浜下水処理場から浄水処理された水が給水されてますが、トライアスロン前には更に大量給水されており、水質は維持されてるようです。

青屋口や玉造口から登城途中に東外堀を目にした際のご参考まで。


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