佐竹義宣屋敷跡
佐竹義宣屋敷跡([大坂城 遺構・復元物])
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佐竹義宣屋敷跡の口コミ情報
2019年04月30日 つぼすけ
秀吉の大坂城西側の三ノ丸内。豊臣家滅亡後の徳川による盛土(2、3m)の下から出
土。東隣は大阪府警本部。上中下の3段構成だが、上段は狭く詳細不明。
秀吉晩年の広大な大名屋敷(佐竹氏)と大坂の陣での陣小屋が並存し、豊臣家の栄華と滅亡が肌で感じられるが、また埋められてしまう(泣)
【現地説明会でのお話】
<中段>
2棟のうち建物1は佐竹義宣や妻子が住んだ奥御殿(東西約20m、南北約15m)、建物2は炊事場と推定。1598年ごろか?
これまでも大阪城内からは大名の屋敷のものと思しき家紋瓦は発見されていたが、複数の家で使われていた紋であり、どの大名家の屋敷か特定できていなかった。今回発見された「扇に月丸紋」は佐竹氏固有の家紋であり、特定に至った。
<下段>
掘立小屋と思しき柱や焼けた跡があり、大坂の陣で使われた陣小屋群と推定。区画①からは火縄銃の弾が出土。未完成のものもあり、弾を製造していたのかも。
<その他>
焼塩壷は粗塩を再加熱し水分などを飛ばした焼塩が入っていたもの。高級な食塩であり、後世には壷自体に屋号などの刻印が入りブランド化もされた。
極めて稀なわらじも出土。がんばって保存処理中。
学芸員さんの喋りが達者で分かりやすかった。
2019年3月23日撮影