北島台場
北島台場([天保山台場 周辺城郭])
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北島台場の口コミ情報
2025年10月04日 romikun
大坂湾岸防衛のために幕末に築造された台場(砲台)のひとつ。1861年、江戸幕府による築造。北島新田は大和川河口の北岸にあり、1746年に桜井甚兵衛(加賀屋甚兵衛)によって開発された新田。1861年、その西側先端部に方形の砲台と観測所が設けられる。日清戦争では由良要塞築造までの臨時施設として運用され、28糎榴弾砲8門と野砲4門が設置された。日清戦争講和後の1896年より施設の売却が進み、1909年に取り壊される。1910年、跡地には大阪砲兵工廠北島新田火薬庫が新設された。詳しい位置は不明だが、位置および西側の道路の形状が当時の絵図の海岸線と合致する新北島南公園付近にあったと思われる。(滋賀県の城http://castle.shiga.jp/)サイトより転記
引用サイト以外に北島台場の存在を確認できませんでしたが、時代的背景と当時この辺り(西北島新田)が大和川の河口部で木津川台場とともに大阪湾を紀伊水道から侵入北上してくる艦船に睨みをきかせられる場所であることから存在したとしてもおかしくはない、「大正14年3月25日印刷 大正14年4月1日發行」の日下伊兵衛(大阪、著作印刷兼発行者)、和楽路屋(大阪、発行所)大阪市大地圖を見ると現在の平林小学校付近に北島火薬庫の記載があり戦時中の航空写真には当地付近が黒塗になっていることから軍事施設と思われ明治期に台場跡が軍事施設に転用された事が多く散見されるので引用サイトにある「新北島南公園付近」からさらに西の平林小学校付近に台場があったのではないかと想像する。