布屋新田台場
布屋新田台場([天保山台場 周辺城郭])
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布屋新田台場の口コミ情報
2025年11月02日 romikun
大坂湾岸防衛のために幕末に築造された台場(砲台)のひとつ。1861年、岡山藩による築造。布屋新田は1853年、高瀬甚九郎(布屋甚九郎)によって開発された新田。1861年に岡山藩が台場を築造し、15拇砲6門を配備した。日清戦争では由良要塞築造までの臨時施設として運用され、28糎榴弾砲4門と野砲4門が設置されたことが確認できる。日清戦争講和後の1896年より施設の売却が進み、1900年頃には武装解除されたものと思われる。詳しい位置は不明だが、当時の絵図との比較で西淀川区中島地区の中島公園付近と考えられる。同地を校区とする大阪市立川北小学校が1963年に刊行した自校史には、「砲台跡に行って旗採りをした」「台場で運動会をした」と記述されている。
(滋賀県の城(https://masakishibata.wordpress.com)サイトより転記
岡山大学附属図書館と岡山シティミュージアムが持つ資料:池田家文庫絵図展「開国と岡山藩」に関する図録を見ると当時の新田開発地の先端部に布屋新田台場・矢倉新田台場・常吉新田台場・島屋新田台場の記載があるので、今昔マップでおおよその位置に訪れた、マップでは、東西2ヵ所が表示されているが、西側の位置が近いと思われる、現在は工場に取り込まれていて往時の姿を想像することすらできない。明治期の地図の高まりからこの辺りにあったのではないかと思われるが確かな事ではない。









