蟠根寺城(蜷川城)
蟠根寺城(蜷川城)([園部城 周辺城郭])
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蟠根寺城(蜷川城)の口コミ情報
2024年08月03日 曲輪但馬守削平
越中所縁、蜷川氏の居城。蜷川城とも。
南丹市園部町高屋、曽我谷、千妻に跨がる標高約320mの丘陵頂部に城跡があります。
Googleマップのクチコミを参考に蟠根寺横の林道からアタックしました。
寺を過ぎて50m程で獣害防止柵があります。手前に空地があり、そこに駐車。ゲートを開閉して歩きます。
林道を200m余進んでようやく踏み跡を見つけ、山に取り付きました(下山の際はゲート近くに下りて来ました。ゲート過ぎてすぐに取り付くのが正解と思われます。)。
尾根に出れば(藪ですが)かなり歩き易くなります。
丹波攻略で一番最初のリア攻め。アプリ未登録城ですが蜷川新右衛門さんの城に行ってみたかった。
遺構は曲輪や切岸、虎口と石塁、堀切など。見所は切岸とⅢ郭の虎口でしょうか。
登山道はありませんのでそれなりの装備で登城して下さい。
(写真の説明はスポット写真からどうぞ)
2024.5.2
2024年05月21日 RED副将軍
アニメ「一休さん」でお馴染みの蜷川新右衛門の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。南北朝時代に蜷川親朝により築かれたとされます。
蜷川氏は、物部氏の系譜である宮道氏の庶流とされ、宮道親直が1180年の源頼朝の旗揚げに参じた功により越中蜷川庄を賜り、蜷川氏を称したのが始まりとされます。
鎌倉時代後期には、蜷川親心は征夷大将軍である宗尊親王に仕え、室町幕府には政所執事であった伊勢氏の被官となります。足利氏の被官である伊勢貞信に娘が嫁いだことから、蜷川氏は足利氏と関係を築き、室町幕府に確固たる地位を固めました。
蜷川親朝は蜷川親心の三男であり、船井郡桐野河内村に下向し築いたのが蟠根寺城であり代々の居城としました。
蜷川氏代々の当主は新右衛門と名乗り、テレビアニメ「一休さん」に登場する蜷川新右衛門のモデルは足利義教の側近であり、一休宗純と師弟関係があった蜷川親当とされます。
戦国時代となると下剋上が横行し、将軍足利家の権威は失墜するも蜷川親世・蜷川親長の父子は足利義輝に仕えています。
しかし1565年に足利義輝が三好三人衆・松永久秀らの謀叛によって暗殺され、織田信長による丹波攻めにおいて明智光秀が侵攻すると蜷川氏は明智光秀に従います。
1582年に明智光秀が本能寺の変で謀反を起こすと、山崎の戦いで蜷川貞周は明智光秀方に付き討死。蟠根寺城は廃城となった様です。
見所
桂川と陣田川の間に聳える標高320mの山陵頂部に築かれており、旧園部町では最大規模の山城です。
山頂に主郭を置き、南北に長い長方形の土壇であり、主郭を囲む様に北に二郭、南に三郭が配されています。
主郭の北西下には土塁と空堀により二郭と三郭が区画され、三郭の南には虎口が開口し、南に四郭、西に五郭へと繋がります。四郭の南の尾根は堀切で遮断され、五郭には土塁が巡り南側に虎口が開口。
二郭から北尾根は腰郭を経て、小規模な段郭が連なる北郭群があります。
石積みが虎口等に点在しますが、全くの未整備であり全体的にヤブ化しており全く写真映えしません。
行き方は、北側にある稲荷大杉大明神の向かい辺りから、蟠根寺城の北側尾根のピークにある太鼓山城を経由して登城しました。帰りは西側を押さえる千妻城を経由して下山。比高は約190mですが距離があるので時間は2時間程度見ておいた方が良いです。