石見館
石見館([物集女城 周辺城郭])
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石見館の口コミ情報
2025年12月27日 摂津守大和繩
【土豪・地侍】
15C後半〜小野氏
【写真】
①入口右側にある区画
②石敷き・土坑
③入口付近
④南側の溝
【にしのおか西岡】
西岡は平安時代に呼称されていた西の方の岡のある土地、に由来します。向日丘陵を挟み特に東側の桂川流域は西岡十一ヵ郷用水の歴史を持ち広域地名として広く知られる。
◯謎解き◯
【写真①】
横の長さ10m
縦の長さ12m
奥に溝が見え区画している。以前の石見城の写真投稿では右側に溝が見え同じ長さと推測。
東側で堀が発掘。
【写真②石敷・土坑】
(排水施設)
烏丸御池遺跡
2013年2月〜5月
拳大の川原石と常滑甕の破片だけが詰まっていた。土坑17と同様、地下に水を浸透させる排水施設と考えている。
22〜23/96頁
土坑17
南北0.5m東西1.4m
深さ0.3m
拳大の川原石と信楽焼擂鉢など破片が詰まっていた。地下に水を浸透させる排水施設である。
(地下式貯蔵庫)石室・穴蔵
親長卿記
文明十年(1478)
12月25日
具足等収納穴蔵畢
調度などを穴蔵に収納した。
高倉宮曇華院跡第4次調査
石室1便槽の可能性
南北1.2m東西0.8m
深さ0.4m
石室2地下式貯蔵庫の可能性
南北1.1m東西2m
深さ0.6m
鎌倉時代から室町時代の遺構で南部は石室1により破壊されている。
(祭祀遺構)
萩原城01年度報告書(墓)
第1・3・5次
SX05石室・一石五輪塔
16C中期〜後半
南北3.0m東西4.2m
深さ0.5m
62/151頁
SX06
集石遺構
南北1.9m東西4.5m
64/151頁
SK18
一石五輪塔(16C前半)
58/151頁
明智城跡現地説明会資料
06年11月〜1月中旬
(集石遺構)社・祠・墓
(銅銭・和釘・水晶)
出土遺物から17世紀と考えられ中頃まで利用。
(屋敷墓)
11C頃から始まる散村での慣行で13C中頃から衰退していく現象。
建物群をA型〜D型に類型し、さらに各型の階層性を見いだしている。
◯2つの主張◯
(小曽根遺跡)
定住が可能で、ある程度の安定した農業経営を実現することが、可能であった主体で簡単に書くと農業など様々な職業で成功して安定した暮らしができる人々と定義している。
(川除遺跡)
この時期の家産観念の形成は在地領主層に限られ(中略)したがって屋敷墓の主体は在地領主層に限られてくる。
※城郭の研究者でこの用語を頻繁に使用する方がおられますが、元々は石母田氏が提唱した説で概念に一致する居館は1例しかないそうで、普遍的な概念とするには源俊方という架空の人物の研究が必須である。
佐山遺跡
京都府遺跡調査報告書
第33冊2003年
屋敷墓SK108
長軸長0.93m以上
短軸長0.85m
屋敷墓SK416
上縁幅0.5m〜0.7m
長さ1.5m〜1.6m
11C末〜12C初頭でともに北東(艮)方向に位置する。
濠SD5-平安時代後期に掘削したとみられる。
京都府埋蔵文化財情報82号
3/68頁
(地業)
基礎工事・地盤改良
福山城二重太鼓櫓基壇
1996年3月
掘り込み地業
47/73頁
津山城だよりNo.26
掘り込み地業
花巻城本丸跡
坪地業
尼崎城本丸御殿の調査
(43次調査)
坪地業
【写真③】
入口(西)
南からの溝が下を通っていて未発掘。
【写真④】
南側にある溝
幅1.5m〜1.8m深さ0.4m









