豊国廟
豊国廟([霊山城 寺社・史跡])
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豊国廟の口コミ情報
2025年11月08日 釆女正佐吉。
全国11044人の秀吉ファンの皆さんこんばんは。
お姉さんある日、三成さんに纏わる京都の史跡巡りツアーに参加したよ。全国津々浦々からミツナリストが参集。史跡7か所を巡る魅惑のバスツアーの最初の目的地は豊国廟。もう、ワクワク☆豊豊だよ〜っ♪
この日は雨が降ったり止んだり生憎のお天気…ったく誰だよ雨女はアタシだよ。豊国廟は標高196mの阿弥陀ヶ峰の山頂にある。廟へ続く石段は489段(異説あり)。見上げても頂部は見えない。…これ、上るんか?いや、お姉さん高所恐怖症やし止めとく。下で待っとく…て思ってたのに!おじいちゃん達、躊躇なく上がってく!はぁ…とりあえず行くか。アカンかったら引き返すし…。にしても手摺無いてどゆこと?怖いっ!足指一家10人、力を入れて進む。ううん、傘の先端入れて11人。杖替わりの傘ちゃんが重要な役割を担ってる。因みに傘の先端の名称知ってる?石突きって言うのよ。だからお姉さんの使い方は正しいの。でもお姉さん、石突きが隙間にぶっ刺さって足を取られ、危うくすっ転びそうになったわ!みんなも気を付けるのよ!
…あぁ、やっと門が見えてきた。もう少し…て、だまされちゃダメ!それ、中門ですからッ!(中門を過ぎると、踊り場が無い上に角度も急になるのよ!)ふぅ、最後尾グループでやっと上り切ったわ。
さて、秀吉のお墓、豊国廟。正式名称「とよくにびょう」で、通称「ほうこくびょう」。約10mの巨大な五輪塔。
秀吉は慶長3年(1598)8月、62歳で死去。葬儀は翌慶長4年(1599)4月、8日間にわたり盛大に行われたの。社域は30万坪(規模が想像できねぇ)で、麓には豊国神社の壮麗な社殿が造営されたの。
でもね、豊国神社は崩壊していくの。そう、家康よッ!家康の仕業よッ!豊臣家滅亡前から根来寺に土地の一部を与えたり、唐門を竹生島に移築したりとやりたい放題!それでも京都での太閤人気は衰えず、7回忌も壮観だったそうよ。
そして秀吉の死から17年、大坂夏の陣で豊臣家滅亡。家康は大坂城を完全に破壊した様に、豊国神社も破壊し、秀吉の神号も剥奪。完全破却しようとしたけど、高台院が「せめて崩れるまま放って下さい」と嘆願し、廟堂と社殿だけ残し修理も禁止、無人で放置されたの。家康死後も諸々あって参拝者激減、廃墟となって人々からも忘れられちゃった。秀吉の死後26年も生きた高台院。廃絶していく様を目の当たりにしていた事を思うと居た堪れないわね。
でも、明治元年に明治天皇が「秀吉は徳川みたく幕府作らなかった!ヨシ」(超訳)と、豊国神社の再建を命じたの。明治だけに。方広寺大仏殿跡地に新しい豊国神社が建てられ、明治31年に没後300年忌として豊国廟も再建。そして工事の最中、土中に埋まった粗末な備前焼の壺棺を発見。中には、手を組みあぐらをかいて西を向く秀吉の遺骸が入ってた!粗末な壺棺に入れ直されちゃってたのね…。取り出そうとすると、遺骸はバラバラに崩れちゃう。その後別の棺に入れ直され、廟に祀られたの。京都の民衆は300回忌を熱狂的に祝い、身動きできない程の賑わいが連日続いたそうよ。
家康によって痕跡を破壊されちゃった秀吉。だけど秀吉も織田家から天下を掠め取ったし、脇坂宛書状では、信長を呼び捨てにしてる。前権力者を貶めたり痕跡を破壊したりして自分の権勢を誇示するのは、古今東西問わずよくある話よね。
ちなみに、廟の北側は清水寺が眼下に見下ろせるのよ。さあ、参拝終えたし下るわ。
……………………え………………………
まっ、これ。石段、こんな急⁉︎無理こんなん下りれん。どうしよ。多和田城みたいに尻餅ついて下りてくか?いやいや時間無いし無理。お姉さん、階段を前にフリーズ。と横に人影が…。後期高齢者おじいちゃんも階段見下ろして固まってるッッ!お、おじいちゃん、どうする?私たち、どうすればいいのっ?とおじいちゃんに念を送る。
と、おーっとおじいちゃん!足を交互に踏み出したアアァアァア…ぁ?あ?違う違う!一段一段両足揃えて慎重に下ってく!ま、待って!置いてかないでっ。お姉さんも両足、両足。 …と、おじいちゃんは歩みを交互へ進歩してる!お姉さんも交互にしたり戻したりと何とか無事に下りきった。さしずめ、地上に降りた最後の天使てとこね。
200年以上忘れられ、山で1人ぼっちだった秀吉。再建されて五輪塔ができたけど、天気のせいかミツナリストの貸切状態(つまり、純粋な秀吉推しでの参拝では無い)。雨に濡れた巨大な五輪塔は一層寂しく見え、秀吉辞世の句「露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことは夢のまた夢」 の如く、天下人の末路が物悲しく思えた豊国廟でした。
この日は、全てのミツナリストが平伏す天下無双ツアーだった。機会があれば他の史跡も豊国、ううん、報告するわね。









