奥渓家住宅
奥渓家住宅([聚楽第 寺社・史跡])
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奥渓家住宅の口コミ情報
2024年02月21日 百済門徒衆修理大夫とら
奥渓家はキリシタン大名大友宗麟の長男の息子奥渓以三が初代として仁和寺門跡の御典医として8代続いた医者の家です。京都市指定建造物で屋敷内は非公開です。(京都市上京区天神道上ノ下立売上ル北町573)茅葺きの長屋門は享保9年(1724)の火災で焼失後,2年後の享保11年に再建されたものです。周りは閑静な現代京都の住宅密集地。屋敷の前の児童公園では子ども達が楽しそうに遊び回っていました。そこにぽつんとタイムスリップしたかのような茅葺きの建物。中々、京都の町中でこのような茅葺民家は残っていません。奇跡的です。この家を守り続けて来た奥渓家の先人方や今のご当主の努力の結晶で、頭の下がる思いです。
近年ヨーロッパにおいては、SDGsもあってか茅葺きの現代高級住宅が流行りになっているようです。
日本の文化財行政は遅れているので、茅葺民家は、ほぼ個人の努力で維持されている状況なので、全国で年々取り潰され無くなってしまいます。
数年前、大阪市内にあった旧渡辺家住宅は開発の名の下、旧大阪府文化財指定を解除してまで取り壊されました。渡辺の綱を先祖とする旧家で、大坂の陣でも焼けなかった茅葺民家でしたが、何と松井市長は「ただの古い家や」という認識でした。
それまでこの家を守ってきた先人方の苦労には全く関心がなく、開発で今生きてる者が目先の良い暮らしを出来たら良いという考えしかないようです。こういう政治家が増えてくると、日本の価値ある文化財がどんどん失われてしまいます。そのことにとても危惧しております。
北野天満宮の近くです。近くに趣のある銭湯もあり、風情のある所です。