一之瀬城西の城
一之瀬城西の城([一之瀬城 周辺城郭])
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一之瀬城西の城の口コミ情報
2023年03月28日 RED副将軍
尾根を多重堀切で分断した愛洲氏の拠点🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。南北朝時代に愛洲太郎判官により築かれたと云われます。花山院に幽閉状態であった後醍醐天皇は脱出し吉野に南朝を樹立。後醍醐天皇は、皇子達を各地に派遣し体制の立て直しを図りました。1337年、その中の皇子のひとり天台座主尊澄(宗良親王)は後醍醐天皇重臣である北畠親房に伴い伊勢へと降り、迎えられたのが愛洲氏の一之瀬城とされます。その後、還俗した宗良親王は南朝復興のため各地を転戦しました。宝徳年間(1449年~1552年)には愛洲氏は居城を五ヶ所城へ移したため一之瀬城は支城となった様です。1575年、北畠氏の家督を事実上乗っ取った織田信雄は田丸城を居城としたため、田丸城主であった田丸直昌と田丸一族は城を出ることとなり、田丸直昌は岩出城、その父の田丸具忠は一之瀬城に移りました。その後の一之瀬城は不明ですが、しばらくして廃城となった様です。
見所
一之瀬川に流れる二本の支流の間の丘陵上に築かれています。東西に伸びる尾根の東端山頂部に主郭を配し、主郭東下の二郭とは堀切で区切られ外側に土塁が付いているため横堀状になっています。さらにスロープ状の土橋が付き虎口を形成しています。主郭西側背後は四重堀切で遮断。更にその先には二条の堀切が確認できます。東の尾根にも連続堀切を設けられており、東西に伸びる尾根を堀切で刻んでいる縄張りです。縄張り図にはありませんが、連続堀切を越えた西側鞍部は大きくクランクした搦手の虎口にも見える箇所もありました。
行き方は、一之瀬公民館を目標に設定。ここが西の城の駐車場です。公民館から案内板が出ており迷わずに行くことが出来ます。
400mほど東に行けば東の城もあり、こちらも見応えあります。併せての訪城をオススメします。