下山甲斐守城(下比奈知城)

下山甲斐守城(下比奈知城)([下山甲斐守城  周辺城郭])

下山甲斐守城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「下山甲斐守城(下比奈知城)」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

下山甲斐守城(下比奈知城)の口コミ情報

2023年05月01日 RED副将軍


北畠氏重臣である下山氏の北方侵攻の拠点🏯

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

下山甲斐守城は奈垣と比奈知の二ヶ所にあり、今回、投稿するのは比奈知の下山甲斐守城です。

築城年代は不詳。下山氏により北方への侵攻の拠点として築城されたと云われます。
下山氏は、甲斐源氏武田氏の一族であり、応仁年間(1467年~1469年)に足利氏の家臣と奈垣に居城を築いて土着したのが始まりとされます。
その後、伊勢国司の北畠氏に筆頭として仕え、勢力を拡大。北方への侵攻の拠点として比奈知に築いた城郭がこの比奈知下山甲斐守城です。
1576年に、織田信雄は北畠具教を伊勢三瀬館で謀殺。下山甲斐守は織田信雄の配下となり伊賀統一を進言します。伊賀衆は帰服すると読んでいましたが、伊賀衆は反撃。天正伊賀の乱を引き起こす要因となりました。 第一次天正伊賀の乱で織田信雄は敗退。下山甲斐守は伊賀衆からは裏切り者とされ、信雄からは信用を失い、信雄に処刑されたとも、伊賀衆に捕縛されたとも様々な伝承があります。

見所
下山甲斐守城は奈垣の本城も素晴らしいですが、この比奈知の下山甲斐守城も支城とはいえ規模も大きく技巧的で、周辺の伊賀特有の単郭方形とは違います。
しかし現在はヤブ化し、かつては社が祀られていた様な形跡もあり後世の改変が窺われました。
登城するとまず、城域北側の空堀と土塁に辿り着きます。深さもあり長さは80m近くにおよぶ大規模なもので東側に土橋も付きます。
南へと向かうと馬場と呼ばれる広い削平地があり、その先に土橋を備えた馬出しの様な空間がありピークの主郭へと続きます。
主郭は土塁囲みですが、社があった形跡があり石積みも後世の様な感じがします。虎口も不自然に広いので参道として広げられたのでしょうか。
主郭背後の尾根筋には4条の堀切が確認でき、堀切の端部は竪堀となり見事に落ちています。

注意:近くの案内板にもある通り、私有地であり無断入山禁止です。
登城口は民家軒先も通ります。ちょうどいらっしゃったのでご承諾のもと登城しました。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore