新加納陣屋
新加納陣屋([更木陣屋 寺社・史跡])
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新加納陣屋の口コミ情報
2021年07月04日 【城郭道】たっきー
更木陣屋より南にある陣屋。安宅の関で有名な冨樫左衛門の血筋がある坪内氏の陣屋です。坪内氏は関ヶ原の戦いで井伊直政の与力として鉄砲隊を率いて活躍しました。そのうちの一人、坪内喜兵衛はかの有名な関ヶ原の戦いの様子を描いた絵図に描かれています。
現在は門、説明板を飾る塀、展望台などがあり、散歩ついでの歴史散策についてむいている公園(新加納陣屋公園)となっています。2019年にできたばかり見たいですね。
2020年09月18日 とんかつおやじND
永禄8年信長が稲葉城を攻めるには、まだ距離があり。前線基地が必要だった。それが歴史的には有名な「墨俣一夜城」作戦だった。しかし、実は一夜城作戦はその一年前に新加納でも実施されていた。その実績を受けて墨俣作戦が断行されたのだ。
中略
一夜城が構築された場所は、坪内家の菩提寺「少林寺」がある辺りだと言われている。かくして「新加納の一夜城」は成功を納めた。
信長は坪内衆の活躍を褒め、新加納や松倉など多くの所領を与えた。
新加納陣屋看板より
画像が遺構かは分かりません
が夢を持ち投稿します
2020年08月25日 とんかつおやじND
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの戦功によって、付近の松倉城の城主であった坪内利定が美濃国羽栗郡、各務郡20村などを治める旗本となり新加納陣屋を設置した。 坪内氏は、1868年(明治元年)まで続いた。
明治に入り解体されたため現地に陣屋の遺構はなく、坪内氏の菩提寺である少林寺南西辺りが跡地であると伝えられてきた。 そこは各務原台地西端の突出した丘状の部分で、南、西、北の三方向に広がる低地を見下ろす位置にある。 ウィキペディアより
お隣の少林寺は 坪内氏の菩提寺になります
新加納陣屋公園として2020.03に開園?
本日歴史館は閉まってました
この堀は不明?
最後の画像は近くにある 坪内氏の御殿医今尾家の門