洞城
洞城([江馬氏城館 周辺城郭])
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洞城の口コミ情報
2024年02月18日 RED副将軍
江馬氏重臣の麻生野氏の居城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
大永年間 (1521年〜1528年)に麻生野直盛により築かれたと云われます。
麻生野直盛は江馬氏14代当主である江馬時経の次男であり、高原諏訪城の東方を守備する支城として洞城を築いて麻生野氏を称しました。
1559年、武田信玄による飛騨侵攻において山県昌景が攻め寄せると、宗家の江馬時盛とともに麻生野直盛も降伏し所領は安堵されました。
麻生直盛直から麻生野慶盛に家督を承継。宗家も江馬時盛から嫡子の江馬輝盛へ家督を承継するも、江馬輝盛は上杉氏との同盟を望んだことから江馬時盛と不和となります。
1572年に武田信玄が上洛途上に甲斐へ撤退し、武田信玄逝去の噂が流布されると、江馬輝盛は父である江馬時盛を殺害。更に親時盛派の家臣を粛正。
親時盛派の麻生野慶盛も攻め寄せられ自害し麻生野氏は滅亡。洞城は落城し廃城となりました。
見所
江馬氏城館跡を構成する城郭として国史跡に指定されています。
高原川支流の麻生野川北岸にある標高535mの山頂に築かれています。
山頂の主郭と西下の二郭で構成されており、主郭の北東背後は二重堀切で遮断され、西の二郭とは堀切で区切られ土橋が架かります。堀切は両サイドに竪堀となり中腹まで落ちています。
主郭の東側に虎口が開口し、南側下の犬走り状の通路が二郭への土橋に繋がります。
行き方は少し難しいです。
城域南西麓の麻生野集落の道沿いに城跡碑が立ちます。この周辺に路肩駐車し林道を進むのですが、右手の小屋付近で直ぐに林道から外れて沢を渡ります。そのまま尾根を進めば辿り着きますが途中で何の案内板もありません。国指定史跡とは思えないくらい分かりづらいです。