高原諏訪城
高原諏訪城([江馬氏城館 周辺城郭])
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高原諏訪城の口コミ情報
2024年11月19日 RED副将軍
北飛騨を支配した江馬氏の本城🏯
オススメ度 ★★★★⭐︎
築城年代は不詳。室町時代に江馬時盛により築かれたとされます。
江馬氏は、鎌倉北条氏の北条義時や北条時房の系譜とも云われますが定かではなく出自は不詳です。
戦国時代には北飛騨に勢力を誇り、近隣の姉小路氏や南飛騨の三木氏と争いましたが、隣国の武田信玄と上杉謙信からすると小規模勢力であり、1564年に江馬時盛は武田氏に属し、その先導で武田氏が飛騨に侵攻。しかし嫡男の江馬輝盛は上杉氏に与したため父子の関係が悪化。
1572年に武田信玄が没すると江馬輝盛は父の江馬時盛を暗殺、弟を追放するなどして家督を継ぎます。
1582年に織田信長が本能寺で没すると、江馬輝盛は後ろ盾を失った三木氏に攻め寄せます。しかし八日町の戦いで江馬輝盛は三木氏家臣の牛丸又太郎により討ち取られます。江馬氏は総崩れとなり、小島城の小島時光により高原諏訪城は落城し廃城となったとされます。
見所
江馬氏城館跡として国史跡に指定されています。
高原川右岸にある江馬氏下館の南東背後にある丘陵頂部に築かれています。
北から南へと弓型に伸びる尾根頂部に主郭を置き、南側尾根に二郭群を配した連郭式。
北側尾根は三重の堀切で遮断され、南北に長い北郭は東側に低土塁を設けており、北郭と主郭の間も堀切と竪堀で遮断されています。
主郭の北東尾根にも複数の竪堀を用いた小規模な段郭が連なり、尾根先はV字堀切で区切られます。
主郭の南に大堀切があり二郭群に続きます。南尾根の先端も大堀切で遮断され、南斜面に竪堀を併設しています。
行き方は、県道484号沿いに登城口があり、周辺の路側帯に駐車することが出来ます。車で城域近くまで登ることが出来ます。
2022年05月14日 583系備前守きたぐに
江馬氏館を見下ろす山の頂上にあります。車を使って先人様登録の江馬氏館周辺城郭Pにおけば山登りの大半を避けられますが、麓からの登城路にえげつないほどの急傾斜かつ深さの竪堀がある(写真を撮ったのですが迫力が伝わらず申し訳ないです。)ので、これが見れません。
徒歩攻めをする場合、登城路は幅が狭いうえに落ち葉で滑りやすく、足を滑らせて竪堀や砂防堰堤に落ちれば大怪我をしそうです。また、倒木で道がふさがっているところもあり(江馬氏館のボランティアの方が、来週現地に行くと言っていたので、ひょっとしたら、状況が変わっているかもしれません。)、登山靴や動きやすい服装など事前にしっかり準備をお願いします。
また、先に江馬氏館又は神岡城に寄られることをおすすめします。共通入場券300円がかかりますが、飛騨市山城マップが置いてあります。山城マップの江馬氏編に高原諏訪城の解説と簡単な登城路つき地図が載っています。
登城路で間違えやすいポイントを簡単に書き記しておきます。登城路の入口は江馬氏館から徒歩5分ほどの園城寺となっていますが、境内には特に案内板はありません。写真の鐘楼を目印に鬼瓦の建物と電信柱の間の道を進んでください。すると鳥居がありますので、鳥居をくぐって道なりに坂を上がると舗装路にでます。舗装路を横切ると登山道があります。
ここから先は道なのかわからないところが多々ありますが、道にはお地蔵様がありますので、お地蔵様を目印にして、リア攻めマップと飛騨市の山城マップを参考に進んでください。
また、辻がいくつかありますので、景色を記憶しておくか、忍者のように目印に枯れ枝を置くかしないと、帰りに違う場所にでてしまう可能性があります。
最後にアクセスですが、公共交通機関利用の場合、JR高山本線からは、猪谷発、又は高山駅発飛騨古川経由で、松本、上高地方面からは、平湯温泉発の濃飛バス神岡バスセンター行きを利用となりますが、高山駅発は2時間に一本程度あるものの、その他は極めて本数が少ないです。神岡鉄道廃止で、行きにくくなってますが、うまく利用してください。
2020年09月27日 くっしー治部大輔尚人
スカイドーム神岡(道の駅)から主郭まで約30分、途中に確認できる竪堀・堀切・切岸が素晴らしい。主郭からの眺めが最高。飛騨市の担当者によると保存会が精力的に動いてくださるとのこと。また、主郭から江間氏館跡が見えるというのが良いですね!