向牧戸城

向牧戸城([帰雲城  周辺城郭])

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向牧戸城の口コミ情報

2024年09月25日 RED副将軍


本日の運営ブログにて公式ツアーの旅程にある様なので緊急投稿。昨年の紅葉シーズンの訪城であり季節感がなくスイマセン🙇‍♂️

金森長近との激戦があったとされる内ケ島氏の南方を押さえる要衝⚔

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。寛正年間(1460~1466年)に内ケ島為氏によって築かれたと云われます。
内ケ島氏は楠木氏の末裔とも伝わりますが出自については諸説あり明確ではありません。
内ケ島為氏が将軍足利義政の命により飛騨国白川郷へ入封し寛正年間に築いたのが向牧戸城とされます。
その後、北飛騨に勢力を拡大し帰雲城を築いて居城を移転。向牧戸城には家臣の川尻備中守を置き、南方の前線拠点とします。以降は川尻氏の代々の居城となりました。
1585年、羽柴秀吉の命により越前大野城の金森長近が飛騨に侵攻。激しい攻防戦の末に落城したとされ、飛騨を平定すると川尻氏は金森長近に降伏。向牧戸城は間もなく廃城となったと考えられており、川尻氏は帰農したとされます。
因みに内ケ島氏は、1586年に発生した白川地震の山津波にて帰雲城が城下町諸共に埋没し滅亡したのは有名な話です。

見所
庄川と御手洗川の合流地点南岸の丘陵上に築かれています。
現在は「荘川であいの森」として公園整備されており、主郭は展望台となっています。
主郭南側には遊歩道と化した堀切があり、主郭下の腰郭には川尻氏の墓石が移設されています。

向牧戸城より、近隣の向牧戸城を攻略するために金森長近が築いたとされる牧戸城の方が遺構の残存度が高い上にアクセスもまずますなのでオススメであることは秘密にしておきます。

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