西寺山古墳

西寺山古墳([明智長山城  寺社・史跡])

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西寺山古墳の口コミ情報

2023年11月14日 前田利家猫耳メイド萌


市指定史跡 西寺山古墳  前波の三ツ塚
当所、中恵土地内の前波地区には、古くから「前波の三ツ塚」と呼ばれる大きな古墳が知られます。これら三つの古墳は、古墳時代の前期に位置づけられ、概ね四世紀の中頃〜末頃にかけて相次いで築かれています。埋葬施設や外表施設、出土品などの状況から、西寺山古墳(前方後方墳)→野中古墳(前方後円墳)→長塚古墳(前方後円墳)の順で築かれたものと考えられます。

西寺山古墳の概要
西寺山古墳は、墳丘の半分程度が削平されていますが、平成十年と十六年に実施した発掘調査の結果から、元は全長60㍍の前方後方墳と確認されました。前方部の長さは26㍍、後方部の長さは34㍍を測ります。墳丘は二段に築かれ、裏込めも含めて川原石による葺石で厚く覆われています。
墳頂部付近には、数多くの埴輪が立て並べられていたようで、発掘調査では転がり落ちて壊れた多量の埴輪片が、墳端付近から出土しています。これらの埴輪は、円筒形ではなく底に穴のある壷の形をしたものばかりです。その形状から(二重口縁)壷形埴輪と呼びますが、外面が赤く塗られた大型品です。
墳頂にある埋葬施設の状況は分かりませんが、昭和初期に鏡が出土したと伝わります。

西寺山古墳の意味
隣接する伏見地区の前方後方墳三基も含め、この古墳は四世紀の可児地域の首長墓と考えられます。古墳時代前期の東日本では、各地で前方後円墳に先立ってよく前方後方墳が築かれています。濃尾平野でもこの傾向は顕著で、当可児地域の他、西濃方面や犬山方面でも見受けられます。
西寺山古墳の壷形埴輪や葺石の状況は、犬山方面との深いつながりを示します。

可児市教育委員会
説明板より。

犬山市の青塚古墳に飾られた、赤く塗られた壷埴輪が思い出されます。

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