平岡山 禅䑓寺

平岡山 禅䑓寺([明智長山城  寺社・史跡])

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平岡山 禅䑓寺の口コミ情報

2026年05月31日 猫耳尾張守メイド萌


市指定史跡  平岡石見守の墓所
ここ、禅台寺境内の一角には、平岡石見守頼勝の墓所があります。
平岡石見守頼勝は、諸国を放浪する浪人でしたが、豊臣秀吉に見出され、小早川秀秋に家老として仕えた武将です。
関ヶ原の戦いのとき、頼勝は黒田如水(官兵衛)の娘を妻としていたので、懇意であった如水の子 長政と謀り、西軍に属していた秀秋に東軍に寝返ることを勧め、結果的に東軍の勝利に繋がる功績をあげました。
関ヶ原後の論功行賞により、頼勝は、秀秋より備前国児島郡二万石を与えられます。秀秋の没後、頼勝は再び流浪の身となりますが、その前功を認めた徳川家康から、慶長九年(1604)に美濃国可児郡などに、一万石を与えられ、現在の下恵土徳野地区に屋敷を構えました。
頼勝は、慶長十二年(1607)に四十八歳で死去し、禅台寺に葬られました。墓は石柵で囲われた石の基壇の上に方形の石を置き、五輪塔をのせたもので、68㌢の高さがあります。
頼勝の死後、子の頼資が二代目を継ぎますが、平岡氏は頼資の晩年に三代目の後継を争う、お家騒動となったため、承応二年(1653)に改易となり、可児郡の所領は没収されました。その後、頼資の子、頼重に一万石が与えられ、平岡氏は旗本として存続することを認められました。
平成三十年三月  可児市教育委員会
説明板より。

二代目 平岡頼資の墓は、可児市観光交流館近くの浄音寺にあります。

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