岡田将監屋敷
岡田将監屋敷([明智長山城 周辺城郭])
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岡田将監屋敷の口コミ情報
2025年11月20日 尾張守たまきち
子の善政とともに岡田将監を名乗った岡田善同の屋敷跡。
岡田善同は尾張国出身で、佐々成政に仕官し、肥後国人一揆平定戦などで活躍したが、1585(天正13)年に佐々家の改易により浪人し、後に徳川家康に仕えた。
1600(慶長6)年、関ヶ原の戦いで加藤清正の軍で戦功をあげ、可児,羽栗郡内5千石を与えられ、ここ下切城の東の麓に屋敷を構えた。
徳川家康の信任が厚く、名古屋城築城普請奉行や大坂の陣の陣奉行、そして山田奉行として伊勢神宮造営にも尽力した。美濃国代官時代には、治水奉行として尾張国の御囲堤築堤の際、美濃国側の工事を指揮した。農民保護政策や治水事業に力を入れ、美濃国の独自の国役普請制度である「濃州国法」の原型をつくっている。
1631(寛永8)年には旗本となり、揖斐城の麓に揖斐陣屋を築いた。同年死没。
現地を訪問したところ、テニスクラブとなっていました。敷地内には石組の井戸もあるそうなのですが、何しろ全体がテニスクラブの敷地ということもあって、散策しづらく、駐車場の奥に碑を見つけた後、退散しました。









