土田城

土田城([明智長山城  周辺城郭])

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土田城の口コミ情報

2025年12月13日 ᴿᴱᴰ副将軍


織田信長の生母である土田御前の出自である土田氏の居城🏯

オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎

土田城(どたじょう)と読みます

築城年代は不詳。文明年間(1469年〜1487年)に土田氏により築かれたと云われます。
土田氏は、木曾義仲の四天王に数えられた根井行親の末裔と伝わり、近江守護の六角氏家臣でしたが、文明年間(1469年〜1487年)に美濃国可児郡の土田村に移り土田氏を称したのが始まりとされます。
土田秀定は明智氏の娘婿となり、明智氏の家臣として勢力を拡大。土田秀定の長女である土田御前は織田信秀の継室であり、織田信長の生母です。
1556年に関城の長井道利が明智城に攻め寄せ、土田源太夫は明智城で討死すると土田氏の嫡流は断絶。しかし小折城の生駒家広の養子となっていた生駒親重が小折城と土田城の城主を兼ねたとされます。
その後、生駒親重は織田信長に従うと1574年には生駒親重と親正の父子は土田城を去り廃城となった様です。

見所
可児川の南西岸にある標高172mの土田山に築かれています。西側と北側は山座川とその支流に囲まれた要害です。
四つの峰に郭を配し、要所を堀切で区切る程度の造作であり、天然の険峻な地形を利用した山城です。
西の第一峰に主郭、第二峰に大手曲輪、第三峰に中曲輪が並び、東の第四峰に出丸が配置されています。
山頂の主郭は北西下に腰郭を配し、南東に伸びる尾根は堀切で遮断されています。
大手曲輪、曲輪、出丸は削平されただけの様に思われました。

行き方は、北麓にある大脇公民館に城跡碑があり、登城口となっています。駐車場もあり整備されています。
比高は100mほどですが急坂が続きます。

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