今城

今城([明智長山城  周辺城郭])

明智長山城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「今城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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今城の口コミ情報

2025年11月22日 尾張守たまきち


天文年間(1532~55)に小池刑部家継が築城。1582年に織田信長が本能寺の変で死去すると、いままで美濃金山城の森長可に従っていた東濃諸国の武将は反抗するようになり、森長可は反抗する武将を武力で鎮圧した。その際に小池家継もその対象となり、森長可の立ち退き命令により小池氏は帰農し、今城は廃城となった。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際に森氏が今城を改修し、横堀や喰い違い虎口といった複雑な構造を備えた。

現地はとても良く整備されており、地元の方の尽力に感謝したいです。

2025年09月24日 西倉右衛門尉忠秀


イベントで登城 設置してあるノートに同じようにゲームで来ている方の書き込み見てちょっとホッコリとした きれいに整備してあるし説明文もしっかりしていて小さいけれど良いお城だなぁと感じた

2025年09月05日 猫耳□□□□□□萌え


小池氏  今城址  梅にうぐいす
天文年間(1530年代)小池刑部家継が築城
天正年間(1573〜1591)に森氏により退去閉城

城址碑碑文より。

今城址の概要
今城の歴史
今城は、天文年間(1532年〜1555年)に小池家継が築城したといわれている。比較的規模の小さい山城であり、土塁に囲まれた曲輪がほとんど破壊されずに残っている。
永禄八年(1565年)に中濃を平定した織田信長は、森可成を金山城主(可児市兼山)とし、東美濃の旗頭とした、小池氏は、現在の可児市南西部を支配していたこの地方の豪族であったが、この時期に信長に帰順し、森氏の家臣となったとされる。
天正十年(1582年)に信長が本能寺の変において討たれると、それまで森氏に従っていた東濃の武将たちはこぞって反旗を翻し、小池氏も同様に反抗したが、すぐに森長可(森可成の次男で森蘭丸の兄)に鎮圧され、森長可の命により今城を立ち退き、帰農したといわれている。

説明板より。

2024年12月、山城に行こう!で登城した際に撮影したもの。

2022年12月21日 ᴿᴱᴰ副将軍


小規模ながらもまとまった縄張りの山城🏯整備が行き届き気軽に登れる山城ビギナーにオススメ城✨

オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎

天文年間(1532年〜1555年)に在地土豪の小池家継により築かれたと云われます。1565年に織田信長が中濃を平定し、家臣の森可成が美濃金山城に入城。この頃に小池氏は織田信長に従属した様です。1582年に織田信長が本能寺で没すると、統治体制が不安定となり森氏に従っていた東濃の在地土豪が反発。森長可は反発する土豪を鎮圧。小池氏も鎮圧さ帰農したとされます。1584年の小牧・長久手の戦いの際には森氏が今城を改修し拠点としたと考えられています。

見所
小規模ながらもきちんと整備をされており山城ビギナーには丁度良い城跡と思います。土塁、空堀、虎口、切岸、井戸跡等が分かりやすく説明板もあります。

行き方は、今公民館を目指してください。ここが見学用の駐車場となっており、案内板もあるので登城口まで辿り着けます。

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