野原城
野原城([大洞城 周辺城郭])
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野原城の口コミ情報
2023年05月11日 しぇるふぁ加賀守
高山本線と飛騨川が一望できる城跡です。登城口は座標(35.6167624, 137.1682616)にあり、頂上の城址碑まで200m〜300mぐらいしかないです。登城道も地元保存会の人たちが整備しているように見受けられ、すぐ到達できるので山城初心者でも大丈夫です。
城址碑は2つあり、一つは「野原城址」と篆書されたものと、もう一つは野原城の謂れが書かれたものになっています。冒頭の説明の通り、眺望がホント素敵でした。鉄道ファンでいわゆる「撮り鉄」の人は卒倒するぐらいめちゃくちゃ良い高山本線の隠れ撮影スポットになるのではないかなと思いました。実際、普通列車とHC85特急ひだの通過シーンを撮影しましたが、めちゃくちゃきれいに撮影できました!
2020年12月29日 とんかつおやじND
1573年、東濃制覇を目指す苗木遠山氏に攻められて陥落した城の跡地。この城の城主、安江光庵基政は、江戸時代に大山白山神社を再興し、安江氏はこの地域で繁栄した。
河東(かとう)の野原(のわら)に城あとがある。この城にまつわる悲しい物語である。
今から凡そ四百年前、天正年間織田信長が京都の本能寺で、明智光秀に倒され、天下は乱れて、東濃の風運も急をつげ、兼山城主の武蔵守長可(ながよし)は、東濃地方を手中に押さえようとして、次々に城を攻め落とし、この野原城(のわらじょう)にも駒を進めてきた。
野原城は、安江長政の子 正常が守っていたが、勇名高い森の軍勢に攻め立てられ、もろくも落城し、城主正常は城を捨てて程近い岩くつに逃げ延びた。
この時、奥方は、一旦逃げ出したものの、荒くれ軍兵に追われ、手向かうこともできず、たちまち捕らえられて、その場で荒武者に切り裂かれて、飛騨川に投げ込まれた。この場所は、宇津尾(うとう)の谷川が、飛騨川に流れ込む天神平と云うところである。
それから三日後、お方さまの傷だらけの死体は、流れにもまれてその下手の岩にひっかかって、晒されていた。里人は、このむごたらしいさまを見ても、敵のとがめを恐れて手をくだすこともできなかった。
いく日か過ぎて、お方さまの腐り果てた死体は、はげしい飛騨川の流れにもまれて、ちぎれちぎれになって、流れ去ろうとしたが、お方さまの執念が、こりかたまったかのように付近の岩にしがみついて、岩にひっかかったまま残っていたという。
体が、二つに分かれた岩が「二つ岩」、七つに分かれてひっかかった岩が「七つ岩」、腕が引っかかった岩が「腕岩」、股(もも)がひっかかった岩が「股根岩(ももねいわ)」と今でも残っている。
それらの岩々は、戦国の悲しい物語として、野原城の真下まで、飛騨川一千米の間に点在して、今でも里人に語り伝えられている。
「ふるさと白川 創刊号」より
飛騨川橋梁の絶景が見られます