教念寺

教念寺([軽海西城  寺社・史跡])

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教念寺の口コミ情報

2026年05月20日 猫耳尾張守メイド萌


当山 教念寺は、明応五年(1496年)に初代 釋了道によって開創され、今日まで五百余年の間 法灯を絶やすことなく受け継いできました。
現 本堂は、文化十五年(1818年)に第十世 釋大智により再建され、以後 百八十余年、風雨に耐え門信徒の念仏道場として護持されてきました。
時に蓮如上人 五百回遠忌法要を明年にお待ち受けするにあたり、永年の門信徒の懇念が結実し、本堂・山門屋根瓦修復工事が落成することができました。
この鬼瓦は、本堂が文化十五年に再建された当時のもので、私たちのご先祖のご労苦の証としてここに保存します。
平成九年十月  石碑碑文より。

権現石(腰掛石)
慶長五年(1600年)関ヶ原合戦の折、東軍 徳川家康は岐阜から赤坂へ向う時、東山道を通り 教念寺へ立ち寄られ、暫し休憩をとられた。
紅梅の木の下にあった庭石を格好の休み所として武装のまゝ腰掛けられた。それより、敵の目を逃れるため、当寺 第四代 宗順住職がひそかに数屋(糸貫町)の渡舟場まで案内し無事に関ヶ原に着かれた。
そのほうびとして、門前に制札を賜った。

時の太鼓
北方陣屋 初代の戸田光賢が元禄十年(1697年)将軍 徳川綱吉の前で得意の馬術を披露し、その褒美として時の太鼓創設を許された。
本来は大名でなければ使用できないものを許可された上に、御三家(水戸、尾張、紀伊)だけの打ち方も許された。太鼓は大小各一つずつあり、小さい方が当寺のこの太鼓である。
説明板(二ヶ所)より。

昭和中期頃までは、四方を堀、築地塀に囲まれた寺であったと言う。
この辺りには、真桑城があったとされるが、城関係の記述は無かった。

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