十七条城(船木城)

十七条城(船木城)([軽海西城  周辺城郭])

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十七条城(船木城)の口コミ情報

2022年10月21日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁


春日局の夫、正成 生誕の地
『美濃明細記』『新撰美濃志』などによれば、南北朝時代(1333年〜1392年)のはじめ、土岐頼貞の子 舟木頼胤が築城したという。その子、武藤頼實が合戦で討死した後、二階堂氏 二代を経て、仙石秀豊が入った。しかし嘉吉二年(1442)十一月十七日に病死。次に、和田利詮を経て、享禄年間から林氏が三代在城した。三代目 正三の子、市助が稲葉重通(大垣・曽根城主・一鉄の子)の養子となり、稲葉正成と改名し、徳川家康に仕え、十七条藩一万石を拝した。
正成の妻は斎藤福、後に家光の乳母となる春日局である。子の正勝は春日局の推輓で累進し、老中(小田原八万五千石)となり、弟 正定は尾張 徳川義直に属して、旧領の十七条一千石を与えられ居住した。
しかし、正定の孫、六郎右衛門が延宝三年(1675)病死して嗣子なく、家は断絶、領地も尾張藩組み入れとなり、十七条村は幕末まで尾張領となる。なお、この城跡付近の微高地を「城山」と呼んでいて『本巣郡志』でも十七条城の所在地として「船木村大字十七條西浦城山」と記載されている。
瑞穂市教育委員会
説明板より。

神社の社務所前に説明板があり、城址碑は少し南側にある民家の生垣の中にあります。
神社前に、駐車スペース(1台程)が有ります。

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