河渡城

河渡城([北方城  周辺城郭])

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河渡城の口コミ情報

2025年07月27日 猫耳感謝感激雨霰萌え


城の正確な所在は不明。『日本城郭大系』には、城の東南に長良川が流れ、根尾川の支流が城の東側を流れる合流地点で、北西側に夕部ヶ池が広がり、池から南へ堀切りの川が長良川に注いでいた。

『美濃国諸旧記』には、永長年間(1096年12月〜1097年11月)に、源義家の甥の、美濃四郎源義仲が、この地に住んだとされる。承久三年(1221年)の承久の乱に置いては、尾張川(木曽川)の大井戸渡しで敗れた後鳥羽上皇軍の、近江国佐々木氏の一族の鏡久綱が、この地に引いて戦ったとされる。古来からの要衝の地であったことを窺わせる。

『美濃明細記』によれば、土岐氏家臣 井戸十郎が屋敷を構えたことに始まるという。十郎は奥州の生まれで、三百貫文を領して、二十四年間居城したとされる。後に、曽根城主 稲葉一鉄良通が攻略して、嫡子の稲葉貞通を住まわせたとも、安藤守就の子 尚就の城となったとする説もある。
安藤氏は、織田信長に武田氏への内通を疑われて追放され、武儀郡谷田村(関市)で蟄居を命ぜられた。
本能寺の変に際して旧領回復を図り、川渡城をはじめ北方城、鏡島城、本田城、軽海西城を襲撃したが……。北方合戦が始まるのです。

廃城時期は不明。
関ヶ原の戦いの前哨戦、合渡川の戦いには登場しないので、天正地震、洪水等で跡形もなく消滅したかも?

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