大井神社
大井神社([北方城 寺社・史跡])
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大井神社の口コミ情報
2024年06月18日 前田利家猫耳メイド萌
金幣社 大井神社由緒記
祭神 素戔嗚命 別名 牛頭天王(天照大神の弟神)
櫛稲田姫命(素戔嗚命の妃)
大乙貴神 別名 大国主神(素戔嗚命のご子息)
一部省略
由来
永延二年(998年)池鏡山 円鏡寺中興の祖、良佑上人が本坊、総門など総ての堂塔を完成させ、その上十六坊の塔頭を配して、一大寺院を造り上げた。
大井神社は、その時北東の位置に牛頭天王の祠をもって鬼門鎮護としたと記されている。以来、明治初年まで正月三ヶ日は円鏡寺の院家が寺僧や住民を率いて、牛頭天王の祠に詣で天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈願した。
また院家は、大井神社ご神殿の鍵を預かり御例祭の時には、院家がご神殿の扉を開けなければ祭りが始まらなかったと言われている。
明治初年三月三日、神仏分離令により、円鏡寺と分離し神社として独立、祠官がこれを継承する。
往時は、相当多くの社領を有し境内すこぶる壮麗を極め、西濃一の麗社として知られ、明治六年郷社に例せられる。
昭和三十二年、岐阜県神社庁から金弊社の指定を受けて以来、例祭には献弊使が参向されている。
例祭は、神輿と巫女舞が主な祭事で神楽殿で熱田神宮より、伝授された巫女舞が奉納されると共に、各町内の十六台の神輿は宵闇せまる頃から、灯りを入れて町を練り歩き、順次大井神社に練り込む競演が始まるなど、伝統的な祭事となっている。
平成十四年四月に鳳輦が新調され、同年五月の例大祭から、ご巡幸行事が華々しく復活した。
神社由緒石碑より。
大井神社南側と西側に神社の入口があり、西側の鳥居の先に蕃塀(尾張地方の神社に多い)が、存在する。