合度川古戦場跡
合度川古戦場跡([北方城 寺社・史跡])
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合度川古戦場跡の口コミ情報
2025年07月26日 猫耳感謝感激雨霰萌え
『合渡川の戦い』は、木曽川・合渡川の戦いとも呼ばれる、関ヶ原の戦いの前哨戦の一つ。
黒田長政・藤堂高虎・田中吉政は、大垣城から岐阜城への援軍が来ると読み、これを阻止するために合渡川(現長良川)左岸に軍を進めたが、合渡川の対岸には既に、舞兵庫率いる西軍の部隊が布陣していた。
慶長五年(1600)八月二十三日、当日朝は、濃霧のために東軍が対岸まで進軍していることに気付かず、西軍は朝食を摂っていた。その時、東軍は銃を発し、川上・川下と分散して、合渡川を渡河した。不意を突かれた西軍は、応戦するも態勢が整わずに、三百余人討たれ敗走した。
『黒田の柳』
合渡川の戦いで、合渡川を渡っていた長政は、川下に流されそうになったが、岸に生えていた柳に槍を刺して這い上がることができたという逸話が残っています。
福岡藩士らは、参勤交代の折に回り道をして、ここに立ち寄り藩主ゆかりの柳の枝を折り、土産にしたと言われています。
その柳は『黒田の柳』と呼ばれ、明治の頃までは岸寄りの河原に残っていたという。
合渡・河渡、どちらも『ごうと』と読む、合渡川の戦い・河渡川の戦い、表記が違うだけで同じ合戦、紛らわしい……。