大御堂城
大御堂城([相羽城 周辺城郭])
相羽城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「大御堂城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
大御堂城の口コミ情報
2026年05月25日 猫耳尾張守メイド隊
大野町史跡 大御堂城跡
ここ公郷集落は江戸時代初めまで、大御堂村と呼ばれていました。この城は、元禄元年(1558)に竹中遠江守重元が菩提山城(垂井町)に移るまで竹中氏の拠点でした。
重元は豊臣秀吉の軍師 竹中半兵衛重治の父親で、半兵衛は大御堂で生まれています。
この地を治めた旗本 加藤平内は、城跡東の月真寺を菩提寺と定め、正徳四年(1714)、月真寺にこの城跡を寄進しました。加藤氏の始祖 光泰は半兵衛に一命を救われたことがあり、これに感謝して娘を半兵衛の子 重門に嫁がせているので、竹中氏と加藤氏は親類にあたります。
城跡は東西 約40㍍、南北 約60㍍の長方形で、昭和四十年代まで、土塁と堀が残されていました。外周の土塁と堀の跡は、発掘調査で確認されています。
大野町
説明板より。
石碑の南側に、3〜4台分の駐車スペースがあります。
2023年10月31日 ᴿᴱᴰ副将軍
竹中半兵衛 生誕の城🏯
オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。竹中氏の居城であったとされ、竹中半兵衛こと竹中重治の父である竹中重元の居城。
1544年に竹中半兵衛は出生。
1558年、竹中重元は岩手城の岩手信久に攻め寄せて岩手城を奪い居城を移したとされ、大御堂城は廃城となりました。
見所
揖斐川東岸に築かれていましたが、現在は宅地化により遺構は消失。
かつては八幡神社境内に城跡碑が立てられていましたが、令和5年3月に城跡地の発掘調査、整備が完了し立派な城跡碑、案内板、幟旗が立てられました。
竹中重元や、旗本の加藤平内の墓も付近にあります。
半兵衛さんファンは菩提山城だけでなく大御堂城もご訪城くださいませ。
写真
①②整備された主郭跡
③案内板
④月真寺
⑤月真寺の墓地には竹中重元も眠る
⑥かつては城跡碑があった八幡神社
2022年11月26日 猫耳尾張守メイド隊
築城時期は不明。
竹中半兵衛重治の父、竹中遠江守重元の居城であった。
弘治二年(1556)長良川の戦いで、斎藤道三に味方した為、重元不在の時に、斎藤義龍の軍に大御堂城を襲撃されたが、竹中重治は大将を務め籠城戦の末、これを退けた。
永禄元年(1558)、重元は岩手城主 岩手弾正信久を攻略し、永禄二年(1559)菩提山城を築いて、居城を移し、大御堂城は廃城となったとされる。
大御堂城要図からすると、この辺りが本曲輪跡と思われるが、標柱等はない。









