月真寺(大御堂城)
月真寺(大御堂城)([相羽城 寺社・史跡])
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月真寺(大御堂城)の口コミ情報
2026年05月25日 猫耳尾張守メイド隊
旗本 加藤平内墓所 大野町史跡
代々平内を名乗った、旗本 加藤氏歴代の墓所です。
加藤氏の初代 光直は、関ヶ原合戦の功績により美濃国内で三千石余を与えられ、六之井(池田町)に陣屋を構えました。
寛永十一年(1635)、二代 光定から公郷を采地としました。公郷に代官所をを置き、臨済宗 月真寺を菩提寺と定めました。このとき寺号を改禅寺から月真寺に改めたと伝えられています。
月真寺墓地には、二代 光定から九代 挙直までの当主と一族の墓 十基があります。
竹中重元墓 大野町史跡
竹中遠江守重元は、豊臣秀吉の軍師 竹中半兵衛重治の父親で、明応六年(1497)、大御堂(現在の公郷)で生まれました。大御堂城は竹中氏代々の居城でしたが、永禄元年(1558)、重元が菩提山城(垂井町)に移ったため廃城となりました。
月真寺(改禅寺)は、竹中氏の菩提寺でした。重元の墓碑は、十七世紀中頃の形式なので、竹中氏または竹中氏の親類にあたる加藤氏が、最後の城主 重元の追善のために建てたと推測されています。
大野町教育委員会
説明板より。
大御堂城跡の敷地と、月真寺裏の墓地が隣接しているので、訪問しやすいです。
2022年11月25日 猫耳尾張守メイド隊
大御堂城要図には、月真寺辺りは搦手曲輪に、位置していたと思われる。以前は、山門として移築された、六之井陣屋の門が残っていたらしいが、撤去されてしまったらしく、石の門柱があるのみでした。門柱と史跡の標柱の間には、堀跡の名残りとおぼしき水路があります。
月真寺裏手の墓地には、大野町史跡「竹中重元の墓」、「旗本 加藤平内歴代墓所」があります。
2020年12月26日 とんかつおやじND
大野町公郷は秀吉旗下の天才軍師、竹中半兵衛重治の出生地と伝えられてきました。半兵衛の出生地には諸説ありますが、垂井町明泉寺から発見された古文書「過現二世牒」には、半兵衛重治は、天文13年(1544)、竹中遠江守重元の長子として、大御堂城(現大野町公郷)に生まれたと記されています。
半兵衛の弟久作(重矩)、従弟源助(重利)もこの地で生まれています。
平成8年4月、竹中氏ゆかりの八幡神社の一角に石碑が建立されました。
江戸時代にこの地を治めた旗本加藤氏の文書では、大御堂城は月真寺の西にあったと記されています。現在では遺構ははっきりしませんが、昭和30年代までは大御堂城のものと伝えられる土塁や堀が残っていたそうです。残念ながら土地改良事業により改変されて、往事の面影をみることはできません。
大野町HPより









