矢熊山(前渡不動)駐車場

矢熊山(前渡不動)駐車場([松倉城  駐車場])

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矢熊山(前渡不動)駐車場の口コミ情報

2024年06月12日 ▷☾◁猫耳萌え▷☽◁


承久の乱と各務原
源頼朝が開いた鎌倉幕府は、三代将軍 源実朝の暗殺により将軍が不在となりました。これを、幕府を従わせる好機とみた後鳥羽上皇は、承久三年(1221)四月、鎌倉幕府の実権を握る執権 北条義時の追討を決意し、畿内近国の武士を集めました。
後鳥羽上皇挙兵の報告を受けた幕府は、源頼朝の正室である北条政子の演説によって御家人たちを味方に付けました。幕府軍は、東海道軍の北条泰時・時房ら十万、東山道軍の武田信光ら五万、北陸道の北条朝時ら四万の軍勢に分かれ、京へ向けて進軍することになりました。
後鳥羽上皇に味方する京方軍は、集まった兵を東海道・東山道と北陸道の三手に分け、二万余りの東海・東山道軍は木曽川で幕府軍を迎え撃つ構えをとりました。
木曽川には当時、複数の浅瀬があり、京方軍はそれらの浅瀬に軍勢を分けました。その中でも大豆戸(摩免戸、各務原市前渡)は特に浅く、水量の多い夏場でも、渡河しやすい場所であったため、幕府軍は北条泰時、京方は藤原秀康と、ともに総大将が大軍を率いて布陣しました。
戦いは六月五日夜、大井戸(可児市土田)で始まりました。東山道の幕府軍が渡河攻撃を仕掛け、大井戸の京方の軍勢を敗走させました。東山道軍は鵜沼に向けて進軍を開始し、それを受けて東海道の幕府軍は木曽川を越えて進軍、京方と合戦しました。京方は敗走し、宇治川で防衛線を張るも再び敗れ、承久の乱は幕府の勝利となりました。
激戦地であった、ここ前渡にそびえる矢熊山中腹には、戦没者の供養塔が祀られています。
各務原市域は木曽川に面し、中世以前は東山道、近世は中山道が通る交通の要衝でした。戦乱の時代、木曽川と各務原は、東国と西国の間の「天下の分け目」であったと言えます。
各務原市教育委員会 
各務原市観光協会
前渡不動山発展会
駐車場北側の説明板より。

おまけ
矢熊山駐車場から東に歩道を少し歩くと、矢熊山南掩体壕が見られます。(手前は私有地の為、近くまでは行けませんが…)
第二次世界大戦末期、陸軍によって作られた防空壕で、間口18㍍、奥行29㍍、高さ7㍍もある大規模なものです。(矢熊山北掩体壕・長根山掩体壕も近くにありますが、木が生い茂って見えない。(ストリートビュー確認ですが…。))

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