承久の乱合戦供養塔

承久の乱合戦供養塔([松倉城  寺社・史跡])

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承久の乱合戦供養塔の口コミ情報

2024年06月12日 前田利家猫耳メイド萌


承久の乱合戦供養塔の由来
承久三年(1221)六月、承久の乱に際して、ここ各務原市前渡は、幕府軍と後鳥羽上皇軍の激戦地のひとつとなりました。前渡は木曽川の浅瀬で、夏場でも渡りやすかったためです。
矢熊山の西側に「西宮寺」という小字名が残っています。昭和七年(1932)の県道工事の際、この辺りで多数の五輪塔が出土しました。地元の住人は、これらは承久の乱で亡くなった人たちの供養塔であり、天台宗西宮寺に祀られていた塔が、木曽川の洪水で寺とともに流され、ここに埋没したのだと考えました。
この時、発見された五輪塔は、前渡地内の桃春院に集められましたが、より丁寧に供養しようと、有志の手によって昭和三十年代に仏眼院のある矢熊山(前渡不動山)に移されました。昭和四十五年に「承久の乱供養塔奉賛会」が結成されて供養祭が始まり、昭和四十七年に「承久の乱合戦供養塔」として市史跡に指定され、昭和五十三年に地蔵菩薩が中心に安置されました。平成十三年(2001)には、前渡全域の住民が関わって「前渡不動山発展会」が立ち上がり、奉賛会から供養祭を継承して毎年六月に法要を行っています。
五輪塔は、型式的な特徴から一部は十五世紀後半、多くは十六世紀後半〜十七世紀前半、つまり戦国〜江戸時代にかけて作られたものと推定されます。十三世紀前半に起きた承久の乱より、後の時代のものではありますが、後世の村人たちが乱の戦死者を弔うために作ったものと思われます。 
各務原市教育委員会
各務原市観光協会
前渡不動山発展会 
説明板より。

駐車場から、お地蔵様が並ぶつづら折れの坂道を登った山の中腹にあります。ベンチが設置されており、ゆっくり休憩できます。

2020年08月21日 とんかつおやじND


承久の乱合戦供養塔とは岐阜県各務原市矢熊山(仏眼院)中腹にある承久の乱両軍戦没者の五輪塔群のことである。 市指定史跡(昭和47年11月)。

元々は承久3年(1221年)の承久の乱、「摩免戸の戦い」での鎌倉、京都両軍の戦没者供養のため、この地の人々の手により西宮寺(前渡西町地内)に安置されていたもので、 その後、木曽川の氾濫により寺は流され供養塔も埋もれたままになっていたが昭和初年に発掘され かかわりの深い矢熊山に移転安置された。 以来毎年6月5日に供養祭が行なわれている。 ウィキペディアより

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