ふな塚古墳(大牧古墳群(大牧4号墳))

ふな塚古墳(大牧古墳群(大牧4号墳))([伊木山城  寺社・史跡])

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ふな塚古墳(大牧古墳群(大牧4号墳))の口コミ情報

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─ふな塚古墳について─
各務原市内には、数多くの古墳が残されていました。各務原台地の南部一帯に沢山の古墳が造られました。陵南小学校にある「大牧1号墳」もその内の一つです。一見雑草の生い茂った様に見えるこの「ふな塚古墳」も、七世紀に造られたもので、ほぼ南北方向に位置し、全長45㍍程です。昭和59年の市教育委員会の発掘調査では下記左の写真の様に、大きく壊されていましたが、杏葉(ぎょうよう):馬の飾り金具:右下写真(個人所蔵)、「須恵器の壺(各務原市教育委員会所蔵)、瓶、杯(右下写真)」等が出土しました。
説明板より。

大牧古墳群  木曽川北岸の大規模古墳群
各務原台地の南縁部が木曽川に向かって半島状に突き出す先端に、北大牧山と南大牧山て呼ばれる二つの丘陵があります。現在では、北大牧山は市立陵南小学校の校庭となり、南大牧山は住宅団地となって大きな変貌を遂げていますが、かつてはこの周囲一帯に大牧古墳群と呼ばれる古墳時代後期の群集墳が分布していました。
昭和初期の調査によると、大牧古墳群は四つのグループに分かれて分布しています。北大牧山に分布する一群では6基の古墳が確認されており、南大牧山では30基の古墳が確認されています。そして北大牧山の西側の台地上に25基、南大牧山の西側の台地上に15基と、二つの丘陵とその北側の台地を合わせて合計76基の古墳が分布していました。しかし、調査が行なわれた時点ですでに滅失していた古墳の数も少なくないと考えられ、古墳の実数は100基に及ぶと想像されます。
ふな塚古墳は、後円部の直径約30㍍、推定全長45㍍の二段築成の前方後円墳です。前方部と後円部の二段目には、外護列石と呼ばれる河原石積みの葺石がみられます。
大正時代に後円部の大部分と前方部の一部が壊されましたが、昭和59年の発掘調査では、新たに前方部から横穴式石室が発見されました。石室は西に向かって開口し、玄室内には家形石棺が置かれていましたが、残念ながら崩落した天井石によって、ほとんど原形を留めないほどに潰れていました。家形石棺は、長さ約2.10㍍、幅約0.9㍍。

これだけの古墳群を形成した人々が暮らした集落は、環壕集落的なものだったのだろうか?

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