中山道鵜沼宿脇本陣

中山道鵜沼宿脇本陣([伊木山城  寺社・史跡])

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中山道鵜沼宿脇本陣の口コミ情報

2025年08月16日 猫耳感謝感激雨霰萌え


鵜沼宿の脇本陣は、坂井家が代々これを勤め、安政年間に至って坂井家に代わり野口家が勤めました。坂井家の由緒は古く貞享二〜五年(1685〜1688)に松尾芭蕉が当家に休泊し句を詠んだと伝えられています。
史料によれば、江戸時代中後期の「鵜沼宿万代記」に脇本陣坂井半之右衛門と記され、「中山道分間延絵図」には街道に南面する切妻屋根の主屋と表門が描かれています。また、「宿村大概帳」天保十四年(1843)には、脇本陣坂井家、門構玄関付き建坪75坪と記され、その間取りが「鵜沼宿家並絵図」元治元年(1864)に詳細に描かれています。
なお、当施設は「鵜沼宿家並絵図」に描かれた幕末期の脇本陣坂井家を復原しています。

中山道鵜沼宿と芭蕉
貞享二年(1685)、「野ざらし紀行」途中の松尾芭蕉は、鵜沼を訪れ脇本陣坂井家に滞在したと伝えられています。その後、貞享五年(1688)七月頃、芭蕉は再び脇本陣坂井家を訪れ、
『汲溜の水泡たつや蝉の声』
の句を読み、さらに同年八月頃、再度訪れた脇本陣坂井家で菊花酒のもてなしを受けた折りには、主人の求めに応じて、楠の化石に即興の句を彫ったと伝えられています。
『ふく志るも喰へは喰せよきく乃酒』
その後、木曽路を通って信濃へ更科紀行に旅立つ芭蕉は、美濃を離れる際に
『おくられつ送りつ果ハ木曽の秋』
と詠み、美濃の俳人達との別れを惜しんだといわれます。
説明板より。

内部の見学も出来ます。

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