中山道鵜沼宿本陣跡
中山道鵜沼宿本陣跡([伊木山城 碑・説明板])
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中山道鵜沼宿本陣跡の口コミ情報
2024年06月04日 前田利家猫耳メイド萌
鵜沼宿本陣跡
鵜沼宿の本陣は、江戸時代を通じ桜井家が務めていました。江戸時代初期、この地に鵜沼宿が整備されて以来、桜井家は本陣・問屋・庄屋の三役を兼ねていたと伝えられています。
寛延二年(1749)十代将軍 家治に輿入れした五十宮が、ここに宿泊したのをはじめ、多くの姫君が華やかな入輿の行列をともなって宿泊・休憩したりしました。
文化六年(1809)伊能忠敬ら測量方も宿泊しています。
「中山道宿村大概帳」天保十四年(1843)に、「本陣凡そ建坪百七拾四坪余り、門構え・玄関付き」と記されています。御上段・二之間・三之間・広間・御膳間・御料理間・勝手上段・納戸・台所などが配置され、御上段の北には築山や泉水が設けられていたと言われています。
明治維新後、鵜沼第一小学校の前身の新々義校は、ここに創設されました。
菊川酒造(本蔵・一号倉庫・二号倉庫)
中山道の南側に建つ本蔵は、大正時代後期の建物で、内部の壁内には断熱材に籾殻を使った冷蔵庫の跡が残っています。土蔵造り二階建てで、梁間 約14㍍、桁行 約24.4㍍の規模があり、大きな瓦屋根が宿場町の景観に寄与しています。
敷地東側の細い路地に沿って建つ蔵は、一号倉庫・二号倉庫と呼びます。明治時代後期の建物で、外観は一棟ですが内部は完全に仕切られた壁があります。小屋組みは、北側は登り梁で、南側は洋小屋トラスと形式が異なります。土蔵造り二階建てで、梁間 約6.2㍍、桁行 約20㍍の規模です。
菊川酒造豆蔵跡
豆蔵は、本蔵の西側に並んで中山道に面して建つ土蔵造り二階建ての建物で、酒づくりのための原料を保管し蒸留工程の一端を担っていました。本蔵と連続する桟瓦葺きの大きな切妻屋根が宿場町の景観に寄与していました。
各務原市が指定する景観重要建造物、また国の有形文化財にも登録されていましたが、老朽化により、令和四年八月に解体されました。この看板は、当時の豆蔵の面影を残すものです。
[建築時期]明治時代初期
[ 構造 ]土蔵造り二階建て
[ 面積 ]184.25㎡ 梁間 五間(約9.5㍍)桁行き 九間半(約18㍍)
中山道沿いには、いくつか建物の案内看板が立てられています。