鵜沼宿西の見附跡

鵜沼宿西の見附跡([伊木山城  寺社・史跡])

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鵜沼宿西の見附跡の口コミ情報

2025年08月09日 猫耳感謝感激雨霰萌え


見附とは、宿場の入口と出口に備えた簡易な防御施設のことです。台状に土手を築いたり、周りを石垣で囲んだり、盛土をして木の柵を立てたりしました。鵜沼宿では、東の見附と西の見附がありました。
鵜沼宿の見附は、江戸時代の「鵜沼宿家並絵図」(中島家文書)に描かれています。家並図と現在の地図を照らし合わせると、西の見附は概ね、この看板の辺りと考えられます。具体的な構造は分かっていません。
江戸時代の参勤交代では、西から鵜沼宿へ入るときは、途中、人家の少ない道を通ってきますが列が乱れており、このすぐ西にある空安寺あたりで隊列を立て直し、「したにー、したにー」と大声を上げて、恰好を付けながら宿内に入っていったと思われます。鵜沼宿の人々は、おそらく下座をして迎えたのでしょう。

木曽川泥流堆積物
木曽川泥流堆積物とは、75万年前から活動する御嶽山が5万年前に大崩壊をおこし、土砂が山麓の東側から大滝川、木曽川により約二百㌔流れ下り、各務原台地までたどり着いた溶岩礫を含む泥のことをいいます。
泥流の全体積は十億立米と推定され、そのほとんどが流れ下って流出してしまいましたが、この地に堆積物の一部が露出しています。ほかにも各務原台地周辺で同様の泥流を確認することができます。
坊の塚古墳の下部、鵜沼宿脇本陣の庭園、伊木山の北西部などに認められます。最近では、研究者らによってさらに調査が行われ、その範囲が徐々に明らかにされようとしています。

鵜沼宿西の見附跡に隣接する位置に存在するが、蔓系植物に覆われているため、木曽川泥流堆積物がどの辺りに露出しているのか不明です。

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