旧大垣城鉄門
旧大垣城鉄門([伊木山城 寺社・史跡])
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旧大垣城鉄門の口コミ情報
2024年05月30日 前田利家猫耳メイド萌
市指定重要文化財 旧大垣城鉄門
安積門(旧大垣城鉄門)
由来
当門は、大垣城本丸の表口に建てられていた鉄門で、明治九年に払下げられた後、安積家(各務原市蘇原野口町)の自邸の門として維持されてきたことから、「安積門」と呼ばれています。各務原市へ寄付され、平成二十一年に当地へ移築されました。
規模は、間口約5.7㍍、高さ約4.5㍍、構造形式から高麗門と称されます。高麗門とは、左右二本の本柱上部に小振りな切妻造りの屋根を架け、さらにその後方に控柱を立て、本柱から控柱に渡して小屋根を架けた門のことで、主に城門として用いられました。
当門のもう一つの特徴は、正門の木部を全て鉄板で覆い、軒下を白漆喰で塗籠めている点で、これらは火矢による攻撃から門を守るためと考えられます。
当門と同様に高麗門に鉄板を張った遺構は、名古屋城表二之門、大坂城大手門(二之門)の二例が現存しています。
中山道鵜沼宿町屋館
由来
当館は、江戸時代に「絹屋」という屋号で旅籠を、明治の初めから昭和三十年代まで郵便局を営んでいた旧武藤家です。平成十八年、各務原市が建物の寄付を受けて公開しています。
屋敷は中庭を囲むように、主屋、東側の附属屋、西側の離れの三棟からなります。主屋は、明治二十四年の濃尾震災で倒壊し、その後、再築されたものです。附属屋は、大正から昭和初期に建築されたものと考えられ、養蚕小屋として利用されていました。離れは、建築部材から昭和初期に建築されたものとみられ、太田宿から移築されたものと伝えられています。
三棟とも、市指定文化財・景観重要建造物に指定されています。
説明板(二ヶ所)より。
旧大垣城鉄門の南側が、中山道鵜沼宿町屋館の駐車場として利用できます。
2021年01月14日 とんかつおやじND
蘇原の安積家の門として使われてきたものをここに移築したものです。高麗門と呼ばれる型式の門で、正面には短冊状の筋鉄(すじがね)が張られています。このような種類の門を鉄門と呼びます。幅約5.6メートル、高さ約3.6メートルの大きさです。移築に伴う解体調査の結果、土台に墨書が発見され大垣城本丸の門であったことが分かりました。各務原市指定重要文化財です。
中は観光用?駐車場になってます