善光寺(大臼塚)
善光寺(大臼塚)([田代城 寺社・史跡])
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善光寺(大臼塚)の口コミ情報
2026年04月26日 猫耳尾張守メイド萌
笠松 善光寺
善光寺は、もともと浄土宗西山派禅林寺・光明寺両本山に属した専養寺の末庵「智暁庵」から興っています。現在、善光寺があるこの場所は、以前、笠松陣屋の牢屋があり、罪人の処刑場で、今も牢屋敷というのはこのためです。斬罪された亡者の霊に対して誰一人これを弔う者がいないのを見て、元文元年(1736年)恵澄居士、恵教尼夫婦が敷地560余坪を寄進、一宇を建立し、無縁の亡霊を弔うこととしました。
明和六年(1769年)、開基の実子である冷山智暁童子が死去したため、その法名から智暁庵とされ公許されました。庵主第一世は開基の妻(智達恵教浄行尼)で、専養寺で得道、入庵して斬罪者及び牢死者菩提のため、念仏三昧で世を送り、寛政六年(1838年)に、三世である智音明観浄行尼は安政六年(1859年)にそれぞれ卒去されました。そして、四世の智空恵教法尼に明治維新を迎えました。恵教は、明治三年(1870年)極悪人の処刑場、藤掛村嫁ケ淵にあった、南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏 二基の石碑を境内に移しました。恵教は明治十二年(1879年)卒去されました。
五世の称円は、明治十三年(1880年)に入庵し、廃寺同様に荒れ果てた庵の再興を図り、同十五年より町墓地の管理をつとめ、同十七年 善光寺妙来を勧請奉安しました。次いでその後、官有地となっていた斬首場を、同十九年払い下げを受け、境内135坪を拡張しました。
明治二十四年の大震災で、建物全部倒壊しましたが、同二十七年に善光寺仮本堂として間口四間、奥行き五間の平屋造りを建て、同三十七年には濃尾大震災の死者300余人の菩提供養追善のために、金1400余円を投じて釈迦如来の銅像を建立しました。
大正元年、工費1700余円をもって庫裡を建て、昭和十年には、工費37000余円をもって間口七間、奥行き八間、二重屋根の本堂再建の起工をし、昭和十四年に竣功落慶して、同年 善光寺と改称をしました。
史跡 大臼塚
かくれキリシタンの処刑場(木曽川の河川敷)に建ててあった石碑。
標柱が、紫陽花の枝葉に埋もれていて、探してしまった。
祖父江善光寺の時にも、午後に行って建物が逆光になって失敗……。撞木造りの特徴的な屋根。









