茜部神社
茜部神社([田代城 寺社・史跡])
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茜部神社の口コミ情報
2022年09月28日 前田利家猫耳メイド萌
茜部神社由緒記
東大寺荘園茜部荘(初めは厚見荘)は、710年頃できる。その守護神として830年頃勅令により、宇佐八幡宮を勧請する。832年頃、空海が神宮寺として、成就院(本尊 阿弥陀如来)を置く。
全国、神社約十万社中、二万五千社は八幡神社であり、茜部神社は分社として十番目に古く、有名な手向山、岩清水、鶴岡より古い。祭神は宗社宇佐八幡宮を初め、応神天皇、神功皇后(母)、比売大神が大部分で、武内宿弥(臣)は稀である。
八幡神社の由来は複雑で、五世紀頃に比売大神(海洋神、農耕神、鍛冶神)が祀られ、六世紀に応神天皇(武勇、安全神、請願成就神)、九世紀に神功皇后が合祀された。邪馬台国の卑弥呼は天照大神、壹与は比売大神との説がある。
道三が信長と会見した帰りにここで休み、道三が亡くなった時の戦で兵火に罹っている。本社の御神体(木像)は大災にて損傷しているが、一体はやや小さく、明らかに比売大神である。
明治維新の神仏分離で成就院の宝物は四散し、祭神 比売大神は武内宿弥に変えられた。
歴代加納城主の守護神であったし、国守土岐政房の墓がこの裏にある。尾張藩士、稲葉城主、歴代加納城主らの奉納品が多く、昔は十月十五日の祭礼には、加納城から三十余人の騎馬行列で参拝に来て流鏑馬、走馬式があった。その後、戦前は花火、神楽芝居に多数の露天が出て賑わった。昭和二十五年、岐阜市に合併し、祭礼も四月五日となる。式内社、郷社であった。
宝物殿前の由緒記碑文より抜粋。
かなり古い時代から、この地にあったと思われる神社で、今でも長い参道が残っている。