大浦城(大浦寺砦)

大浦城(大浦寺砦)([田代城  周辺城郭])

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大浦城(大浦寺砦)の口コミ情報

2021年08月12日 前田利家猫耳メイド萌


大浦城(大浦の寺砦)は、一名聖徳寺砦とも言われています。
弘治二年(1556年)四月、織田信長は斎藤道三と嫡子 義龍が争った「長良川の戦い」に、道三の援軍として木曽川を越えて「大良(現・羽島市正木町大浦周辺)」へ進軍。
父、道三を破り勝利した斎藤義龍は長良川の戦いの直後、大良に陣を張る信長軍へ兵を差し向け「大良の戦い」になりました。
道三の死を知り、撤退を決めた信長は、先ず雑人や牛馬を退かせ、「殿軍は俺がやる」と言い、舟一艘のみを残し全軍を先に渡河させた逸話が信長公記に残っています。
尚、義龍軍の攻撃で大浦城の落城が迫った時、大浦城の姫様が家宝の金矮鶏を抱いて、城内の井戸に身を投げ、その後、毎年元旦の早朝に金矮鶏の鳴き声が3声聞かれると伝えられており、金矮鶏神社の由来の一つになった。

*異説として 長者伝説
長者には一人娘がおり、大層可愛がり其の娘に黄金製の金矮鶏を与えた。娘はこれを大切にし常に座右に置いていた。ある日、手負いの若い武士が長者の門を叩き助けを乞うたので、長者は手当を加え家に匿った。そのうちに武士は娘と良い仲になり、それが長者の知る所となった。その頃、武士に追手が迫り、長者に若い武士の取り押さえを命じられたが、誤ってこれを殺害してしまった。娘はこれを知ると悲しみの余り、日頃大切にしていた金矮鶏を抱き庭の井戸に身を投じ亡くなった。その後、間もなく長者屋敷に怪火が出て壮大を誇った家倉尽く灰となったと云う。屋敷跡は、薮となり井戸だけが残り、元旦の早朝には井戸の中より金矮鶏の鳴き声が聞かれ、この声を聞く者は長者に成る事が出来ると伝う。

天正十二年(1584年)四月、羽柴秀吉は長久手の戦いで思わぬ敗戦を喫し、矛先を織田信雄の居城 長島城の攻撃に向けようとして、犬山の戦線を離脱して大浦城に入り、二日間にわたって作戦を練り、犬山で織田徳川軍に対峙していた十万の全軍に羽島方面への反転を命じたと言う。

現在の城跡は、金矮鶏神社の辺りとされるが、遺構は残っていない。

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