一乗寺

一乗寺([墨俣城  寺社・史跡])

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一乗寺の口コミ情報

2022年10月03日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁


臨済宗妙心寺派 小熊山一乗寺 由来
弘仁十年(819)空海の開基で真言宗の寺院として、境内十八町余歩の広い区域に七堂伽藍を建立し、大師自ら橋杭で延命地蔵菩薩を彫られ、七間四方の空に安置し、「朽残る真砂の下の橋はしら又道かえて人わたすなり」と歌を読まれた。当時は、寺中に十二坊があり尊信の中心となっていた。
時を経て源頼朝は、この菩薩の奇瑞を厚く信仰し、文治三年(1187)武運の祈願をしたところ勝利を得たため本堂を再建したが、後の兵火にあい寺院建物を全部消失した。このことを霊夢で知った頼朝は、再び伽藍を建築し、後の世の手当てとして千両目の団金に、「朝日さす夕日かがやく木のもとにこがね千両後の世のたから」と一首の和歌を添えて付与したという。
時代は下り、織田信長が岐阜在城の時、この菩薩の霊威のあることを知り、永禄十一年(1568)菩薩を岐阜へ移したが、天正二年(1574)三月の初めのある夜、この菩薩が枕頭に立たれ、元の地に帰りたいと告げられた。帰すことを惜しんだ信長は、尊像を留めて、その地名を小熊と改め今にその地名を残している。
その後、一乗寺は一時衰退したが、万治元年(1658)に臨済宗妙心寺派の寺として、江西長老により開山された。当寺に現在安置してある地蔵菩薩は慈覚大師の彫刻で、開山した江西長老が尾張国田嶋村から、請い受けて空堂に安置したものである。さらに、貞享二年(1685)冬の頃、当山第三世月空紹長老に「汝我を信ずる事久し其心何ぞ空しからんや、先の尊像は彼地に在りといへども神此処に在す弥供養を怠る事なかれ」という霊夢があった。よって不二冥合の尊像を崇め、諸堂をことごとく再建した。時に元禄十年(1697)で、この寺の中興の開山と称している。
また、治承・寿永の乱(源平の合戦)における養和元年(1181)の墨俣川(現長良川)の戦いでは、墨俣から西小熊(一乗寺付近)が主戦場となり、多くの戦死者がでた。この時の戦死者を供養するため、誓浄寺と本養寺の二つの寺が建立され多くの五輪墓石が造られたが、天正四年(1586)の大洪水で、この二つの寺が流され五輪墓石も散逸してしまった。
境川河川改修工事の際に、川底から多くの五輪墓石が出土したため、その一部が当寺に無縁墓石として安置され、墨俣川の戦いの激しさを今に伝えている。
羽島市観光協会  説明板より。

参詣者用の駐車場あり。

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