白山神社
白山神社([曽根城 寺社・史跡])
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白山神社の口コミ情報
2026年05月26日 猫耳尾張守メイド隊
慶長五年(1600)、関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康は岐阜城が東軍の攻撃によって落城したとの報を受け、九月一日に江戸を出発。三日に小田原、十一日に清洲を経て、十三日には岐阜に入り、十四日には赤坂へ向かって進軍した。この地方には、その道中に起こった出来事が民話として言い伝えられる。
旗懸けの松
岐阜を早朝に出発した家康の軍は、長良川を渡り木田村(岐阜市)から中山道を席田村(本巣市)に進んだが、この白山神社で休憩した折、松の大樹に旗を懸けた。以来、その松は『旗懸けの松』と呼ばれた。現在、その松は存在しない。
大柿(大垣)我が手に落つ
瑞雲寺(神戸町八条)の禅僧が大きな柿を献上したところ、家康は「大柿(大垣)は、わが手に入れり」と、石田三成らが籠もる大垣城を指し、さらに、甘柿にも関わらず「ああシブかった、シブかった(四分勝った、四分勝った=八分勝った)」と言ったとされる。
家康、危機一髪
赤坂に向かうには、西軍の主力が駐留する大垣付近を通るため、家康は一計を案じる。三万余の軍勢は、中山道の河渡(岐阜市)を渡り、呂久(瑞穂市)から赤坂へ向かわせ、家康自らは五百余騎の精鋭を率いて厳重に周囲を警護させ、木田の渡し(岐阜市)を越え、北方(本巣市)から神戸へ入ろうとした。しかし、行軍中に島津隊の鉄砲隊長、川上久林が率いる二百余名の奇襲を受け、命からがらこの白山神社まで落ちのびたという。
説明板より。
白山神社の入口分からず、一度通り過ぎてしまった。鳥居や社号標とか無く、[参道入口→]の看板を見逃してた。
2023年12月30日 I♡長浜釆女正佐吉。
全国327万人の三成ファンの皆さんこんばんは!
今日は家康が関ケ原の戦い直前に寄ったと伝わる、安八郡神戸町にある白山神社の紹介だよ。
え、ちょ待てよ家康の史跡紹介だろ?三成さんカンケーねーじゃん!てそこの美男美女安心してください後半ちゃんと三成さんのお話し出てきますよレッツゴー!
白山神社てのは、岐阜県安八郡神戸町(あんぱちぐんごうどちょう)にあるんだ。神戸町は、大垣市の北に隣接する町。
慶長5年9月14日、関ケ原合戦直前に岐阜から東軍陣地である赤坂岡山に向かう途中に家康がこの白山神社で休憩したの。
その折、旗を懸けた松が「旗懸けの松」(今は四代目)
その折、座った石が「腰掛け石」
で、その時神戸町八条の禅宗瑞雲寺の住職が大きな柿を献上したら家康ったら!大垣方面を指して「大柿(大垣)は、わが手に入れり」と喜んだんだって!その上、甘柿なのに「ああ渋かった渋かった=四分勝った四分勝った=八分勝った」って言ったんだって!
う、う、う、上手い事言ってんじゃねーよっ!
その通りになったじゃねーか…
故事とか弦担ぎとか大好きな家康のイメージぴったりのエピソードだよ…。でも、そんな親父ギャグ的言い伝えとは別に、もう一つの伝承があって。
東軍が陣を敷いている赤坂岡山に向かうには、西軍がいる大垣付近を通らなくちゃいけない。そこで家康考えた。
本隊3万は、中山道の岐阜市河渡を渡り瑞穂市呂久から赤坂へ向かわせ、家康本人は500騎ほどの精鋭部隊を率いて厳重に周囲を警護させ、東山道の岐阜市木田(きだ)の渡しを越え、本巣郡北方から神戸へ入ろうとしたの。そこを島津軍の鉄砲隊長、川上久林(かわかみひさしげ)率いる200名ほどの襲撃を受け、命からがらこの白山神社に落ち延びたという話なんだ。
でもこの話は、天下人となる家康には不都合だったから、威厳を保つために箝口令が布かれて歴史から抹消されたんだって。
一体どっちなんだい!?!?
でも、お姉さん的には白山神社エピの真相よりも、重要なのはこの神戸町。
実は、三成さんが佐和山城に入城した当初は、美濃に所領を持つ大名として、預かりの城である佐和山城に入ったの。つまり、いきなり佐和山城主になった訳じゃなく、初めは美濃に所領を持ちつつ、佐和山城を預かってたの。で、美濃での三成さんの拠点が神戸村 (神戸町ね)だったの。
そう!三成さんは神戸に居た事がある!!
て事は…お姉さんちからめちゃくちゃ近くに住んでた=もはやお姉さんちは聖地!
ち、違う違う。
「三成さんは西美濃の土地勘ありまくり」
今日はコレだけ覚えて帰ってね。
後日、某陣跡の口コミに出ますよ。









