白山神社
白山神社([曽根城 寺社・史跡])
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白山神社の口コミ情報
2023年12月30日 釆女正佐吉。
全国327万人の三成ファンの皆さんこんばんは!
今日は家康が関ケ原の戦い直前に寄ったと伝わる、安八郡神戸町にある白山神社の紹介だよ。
え、ちょ待てよ家康の史跡紹介だろ?三成さんカンケーねーじゃん!てそこの美男美女安心してください後半ちゃんと三成さんのお話し出てきますよレッツゴー!
白山神社てのは、岐阜県安八郡神戸町(あんぱちぐんごうどちょう)にあるんだ。神戸町は、大垣市の北に隣接する町。
慶長5年9月14日、関ケ原合戦直前に岐阜から東軍陣地である赤坂岡山に向かう途中に家康がこの白山神社で休憩したの。
その折、旗を懸けた松が「旗懸けの松」(今は四代目)
その折、座った石が「腰掛け石」
で、その時神戸町八条の禅宗瑞雲寺の住職が大きな柿を献上したら家康ったら!大垣方面を指して「大柿(大垣)は、わが手に入れり」と喜んだんだって!その上、甘柿なのに「ああ渋かった渋かった=四分勝った四分勝った=八分勝った」って言ったんだって!
う、う、う、上手い事言ってんじゃねーよっ!
その通りになったじゃねーか…
故事とか弦担ぎとか大好きな家康のイメージぴったりのエピソードだよ…。でも、そんな親父ギャグ的言い伝えとは別に、もう一つの伝承があって。
東軍が陣を敷いている赤坂岡山に向かうには、西軍がいる大垣付近を通らなくちゃいけない。そこで家康考えた。
本隊3万は、中山道の岐阜市河渡を渡り瑞穂市呂久から赤坂へ向かわせ、家康本人は500騎ほどの精鋭部隊を率いて厳重に周囲を警護させ、東山道の岐阜市木田(きだ)の渡しを越え、本巣郡北方から神戸へ入ろうとしたの。そこを島津軍の鉄砲隊長、川上久林(かわかみひさしげ)率いる200名ほどの襲撃を受け、命からがらこの白山神社に落ち延びたという話なんだ。
でもこの話は、天下人となる家康には不都合だったから、威厳を保つために箝口令が布かれて歴史から抹消されたんだって。
一体どっちなんだい!?!?
でも、お姉さん的には白山神社エピの真相よりも、重要なのはこの神戸町。
実は、三成さんが佐和山城に入城した当初は、美濃に所領を持つ大名として、預かりの城である佐和山城に入ったの。つまり、いきなり佐和山城主になった訳じゃなく、初めは美濃に所領を持ちつつ、佐和山城を預かってたの。で、美濃での三成さんの拠点が神戸村 (神戸町ね)だったの。
そう!三成さんは神戸に居た事がある!!
て事は…お姉さんちからめちゃくちゃ近くに住んでた=もはやお姉さんちは聖地!
ち、違う違う。
「三成さんは西美濃の土地勘ありまくり」
今日はコレだけ覚えて帰ってね。
後日、某陣跡の口コミに出ますよ。