梁川星巖邸跡
梁川星巖邸跡([曽根城 碑・説明板])
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梁川星巖邸跡の口コミ情報
2022年11月09日 前田利家猫耳メイド萌
この地は、戦国時代に西美濃三人衆の一人として活躍した稲葉一鉄の本拠・曽根城の一角であると共に、幕末の尊王憂国の漢詩人として、その名を全国に知られた梁川星巖が生まれ育った邸宅跡で、かっては広大な敷地に白壁造りの土蔵が建ち並んでいました。
星巖は、寛政元年(1789)に大垣藩郷士 稲津丈太郎長高の嫡男として生まれました。幼名を善之丞長澄といい、七歳の時に華渓寺住職 太隨和尚から厳格な指導を受け、十九歳で江戸に出て勉学に励み、その後、妻 紅蘭と全国を吟遊行脚しました。
そして、頼山陽・藤田東湖・佐久間象山など、高名な文化人・学者とも交友し、尊王の大義を主張するなど明治維新の成立に多大な影響を与えました。
大垣市教育委員会
説明板より。
空き地の片隅に、石碑と説明板があるのみで、遺構などは無い。