斎藤利三館跡
斎藤利三館跡([曽根城 関連施設])
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斎藤利三館跡の口コミ情報
2022年11月10日 前田利家猫耳メイド萌
曽根城家老 斎藤内蔵助利三屋敷跡。
曽根城公園 花菖蒲池の南西角地に石碑があるのみで、屋敷跡の痕跡は無い。
時期が良ければ、綺麗だったと思われる。
2021年01月12日 とんかつおやじND
斎藤 利三(さいとう としみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。明智光秀の家臣。春日局の父。
利三は、実兄の石谷頼辰や明智光秀と同様に幕府の奉公衆の出身であり、上京後に摂津国の松山新介に仕え京都白河の軍事をつとめる(『寛政重修諸家譜』)、次いで斎藤義龍に仕え、後に、西美濃三人衆の一人・稲葉一鉄が織田氏へ寝返ると、それに従い、稲葉氏の家来になったとされるが、家来というよりは与力だった可能性が高いとする指摘もある。後に軍功の割に厚遇されていないことへの不満と一鉄への諫言を斥けられたことから稲葉家を致仕し、明智光秀から召し抱えられた。さらに光秀は那波直治も引き抜こうとして訴訟沙汰まで起こしていた。光秀の人材登用にかける思い入れの深さと姿勢が見られ、光秀の経営の真骨頂と評価されている 。光秀には重用され、明智秀満と並ぶ明智氏の筆頭家老として用いられた。光秀の丹波平定後、1万石を与えられて丹波黒井城主となり、氷上郡統治にあたる。
ウィキペディアより抜粋
一鉄と曽根城にいた頃の家老屋敷跡
石碑あります