谷氏屋敷
谷氏屋敷([御茶屋屋敷 周辺城郭])
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谷氏屋敷の口コミ情報
2024年05月29日 前田利家猫耳メイド萌
築城時期は不明。
天正・文禄の頃、赤坂に谷七郎左衛門源衛友の屋敷跡があったと『新撰美濃志』には記載されている。
天正六年(1578)、父と共に秀吉に仕えて、采地二百石を賜った。
天正七年(1579)、三木城攻めで父 衛好が討死したが、その場で父の仇を討ち取り、遺骸を奪い返すという武勲を立てた、信長は衛好の死を憐れみ、衛友へ(衛好)本領並びに新恩(領地)を与え、感状を授けた。
天正十年(1582)頃、秀吉より丹波国何鹿郡山鹿村に移封され、一万六千石を領した。
天正十六年(1588)、従五位下出羽守に叙任され、その後小田原攻め・文禄の役で軍功をあげ、関ヶ原の戦いは西軍に属していたが、田辺城攻めの際、城内の細川方と内応し、攻撃では空砲を撃ったとされ、戦後早くから東軍に内応していた事が認められ、所領安堵された。
屋敷跡は、正安寺東側一帯、金生山から岡山(お勝山)がある台地の東側のヘリの部分にあったとされる。
※写真は御茶屋屋敷東北角で、写真手前側(写真を忘れたと言う名の配慮)の住宅地一帯に谷氏屋敷があったとされています。