権現のぞきの地
権現のぞきの地([御茶屋屋敷 碑・説明板])
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権現のぞきの地の口コミ情報
2021年05月31日 釆女正佐吉。
ここは関ケ原合戦の際、岡山の東軍の陣を見張り家康の到着をうかがうために、西軍が設けた見張り台があった場所です。
西軍の大垣城と東軍の赤坂岡山(現在のお勝山)の中間辺り…少し岡山寄りにあります。
住所は大垣市河間町(がまちょう)。
行き方→「西沖公園」で検索して下さい。国道417号線から行くのがわかりやすいです。
近くには駐車できる場所がありませんので、西沖公園のフェンス沿いに駐車して下さい①。
何時間も見学する程ではありませんので、ここで大丈夫かと。権現のぞきの地までは数分で到着する距離です。
公園の南西角(カーブミラー有)を西へ曲がり、
堤防に向かって西へ100メートル程歩きます。
突き当たりの堤防手前に、コンクリート囲みの小川がありますので②、
川沿いを南へ数十メートル進むと「権現のぞきの地」に到着します③④⑤。
堤防(一説によると鎌倉時代正治年間11199〜1200年には存在した)の下に史跡碑があるので「堤防で向こうが見えにくいじゃん…」と悩みましたが、少し調べたところ、明治初期まではこの場所は丘であったようです。
「権現のぞき」とは、後世に家康を東照大権現と奉るようになってからのことと思われます。
関ケ原合戦の前日14日に家康が赤坂岡山に着陣すると、西軍諸隊には動揺が広がったとも言われます。
西軍の士気を鼓舞するため、島左近が自ら戦いの先頭に立つことを申し出て、杭瀬川の戦いとなります。
写真の古地図は、杭瀬川の戦いの布陣などを表したものです。成立年代は、戦いから約130年後の享保14年。現在「権現のぞきの地」と言われる栖楼場(せいろうば)も描かれています。(青の丸印で囲んだ場所)⑥。
この古地図は大垣城で購入できますので、ご興味おありの方はお買い求めください。
正直、わざわざここを目的として行く程の場所ではありませんが、コアな西軍ファンの方!「ここから西軍の兵が岡山の様子を伺っていたんだ。当時は見晴らしも良かっただろう。家康来るの早すぎーー!!って焦っただろうな…」などなど妄想してください。
写真でお分かりのとおり、堤防下とはいえ住宅地のすぐ側ですので、不審者に間違えられない様、お気をつけ下さいね。
画像①西沖公園フェンス
画像②この電柱を左に折れ用水路沿いを歩く。堤防登っちゃダメ絶対!
画像③④⑤石碑
画像⑥古地図