宝光院
宝光院([大垣城 寺社・史跡])
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宝光院の口コミ情報
2026年05月02日 猫耳尾張守メイド萌
ひだりめ不動 御朱印 史蹟 宝光院
当山は1200年前、伝教大師の御創建にして七慟伽藍を構え、知行千石余、近在有余ヶ寺の末寺をもち、隆盛を極め、その後、信長の兵火のため焼失するも豊臣家の御帰依厚く御朱印を賜り天下の祈願寺たり、徳川将軍代々の帰依厚く広大なる宝光院領を賜り格式髙き御朱印として当地方の総本山の霊場としての古刹なり。当山は格式髙きゆえ門前並に杭瀬川を交行する諸大名は下馬下乗し白帆を下げ敬意を表し通過せるものなり。
尚、当山は家康公関ヶ原御陣の節、当寺より桃を献上し御稱宴あり、天下を掌握す、その地を桃配り山と稱し、当山に桃寺の寺号を賜う、以来勝運の寺として世に知られる。
この霊域に一歩を印せば、諸大名の御用を免れ救はれた佛恩に感謝する人数多く、中にも菊池寛の小説「青の銅門」の禅海上人は、この寺にて佛門に入りたまう。
当山は、現世安穩後生極楽を願う霊験あらたかなる霊場なり、ひだりめ不動明王は商売繁昌、家内安全を祈る守り本尊として世の信仰を受ける。
節分の日には、天下の奇祭として知られる節分会はだか祭が挙行される。
宝光院宝物殿 美濃民俗館 十三間堂には、数多くの宝物資料を蔵す。
大垣城 戸田氏並に西尾豊後守の菩提所なり、尚墓印は県下最古の形態をとゞむ。
ひだりめ不動明王
当山は、徳川将軍の祈願所にし霊験あらたかな霊場です。おまつりしてある、ひだりめ不動明王は祈願者にご利益を与えられる世にも稀な奇瑞佛です。ひだりめ不動明王の信仰者は現世の福を得ることが甚だ多く現に霊験深い福の明王として、厄除開運を祈り商売繁昌、家内安全、交通安全、五穀豊穣、請願成就を祈る守り本尊として、世の信仰をうけています。当山のひだりめ不動明王は天下に稀な御形体の海内無比の奇想仏であられます。世の不動尊は両眼を開くが普通でありますが、ひだりめ不動明王は右目を大きく開かれ、左の目を閉じようとして最も力を入れられています。これは忿怒の形相の最極を示現されており、阿字の一乗に入らさせるお姿で口伝に釈迦所現の不動は一目を開いて、一目を閉じようとさされるのは釈迦五濁悪世に出世して三業六道をしまして悉く一仏乗に入らせる故であります。一切の悪魔を降伏して福善もあたえられる大威勢をおもちの御利益多い霊験あらたかな尊い明王さまです。
祈願内容
商売繁昌・家内安全・家内安全
五穀豊穣・智恵受授・地鎮祭
縁日 毎月 二十八日
大垣市指定史跡 御朱印地 宝光院
当院は、天台宗比叡山延暦寺の末寺で、伝教大師の創建(平安時代初期)と伝えられる古刹です。
天正十七年(1587)に、豊臣秀吉の命で検地が行われたとき、寺領十石が与えられ保護を受けました。
以来、江戸時代にも引き続き幕府から「御朱印地」として特別な保護を受け、治外法権の地として、罪人もこの寺に逃げ込めば逮捕を見送られるなどの風習が認められていました。
岐阜県指定重要文化財 絹本着色両界曼荼羅
宝光院所蔵の両界曼荼羅は、金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の二幅で一対となります。
金剛界曼荼羅は九会曼荼羅とめいい、九つの曼荼羅を縦横三つずつ並べたものです。上段中央の区画には大日如来が、他の八つの区画にも小さな仏像が多数描かれています。
胎蔵界曼荼羅は、八葉の蓮華の中心に大日如来、蓮弁に四仏・四菩薩、その外側に菩薩像・明王像、最外院に天文像を配しています。
この曼荼羅は、江戸時代に西尾豊後守光教が菩提寺である当院に奉納したものと伝えられています。
大垣市教育委員会
説明板(四枚)より。
本堂が、洪水対策なのか?高い。
2026年02月04日 松平長七郎左近衛少将長頼
天台宗寺院で、関ヶ原の戦いの際に東軍•徳川家康公に桃を献上した由緒がある。









