池田公父子之板(長勝寺)
池田公父子之板(長勝寺)([大垣城 寺社・史跡])
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池田公父子之板(長勝寺)の口コミ情報
2026年04月29日 猫耳尾張守メイド萌
大垣市指定重要文化財
伝池田勝入斎父子の板碑
織田信長死後の天下の覇権を競って、天正十二年(1584)、織田信雄・徳川家康連合軍と羽柴(豊臣)秀吉軍による合戦が尾張国東部で繰り広げられました。
大垣城主 池田恒興(勝入)らは、三河国に攻め入ろうと別動隊を率いて進軍しましたが、同年四月九日 長久手で家康軍との合戦となり、恒興とその嫡子 元助らは戦死しました。
恒興父子らの遺体は、恒興の護持仏であった黄金の地蔵菩薩と共に林本郷村に埋葬の上、石造墓標(五輪塔の浮き彫り板碑)が建立されたと伝えられ、その後、"田中地蔵"として尊崇されました。
この墳墓は大正四年(1915)紡績工場の建設に伴い現地に移転されました。なお、板碑は長久手産の硬質砂岩で造られています。
大垣市教育委員会
説明板より。
板碑、説明板の横の大きな石碑かと思ったら、板碑は祠の中に大切に安置されていた。(格子があって中はよく見えませんが…。)









