芭蕉木因遺跡

芭蕉木因遺跡([大垣城  寺社・史跡])

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芭蕉木因遺跡の口コミ情報

2026年05月06日 猫耳尾張守メイド萌


大垣市指定史跡 芭蕉・木因遺跡
俳友 谷木因と数多くの門人が大垣にいたため、俳聖 松尾芭蕉の美濃来遊は四回ありました。木因は、名を正保、九太夫、号を木因と称しました。船町の船問屋の家に生まれ、北村季吟の門に入って俳諧を学びました。芭蕉とは同門であったので壮年から交わりが深く、貞享、元禄年間に大垣俳人の先駆となしました。
元禄七年(1694)芭蕉が大阪で病没すると、芭蕉の門人であった近藤如行らは、船町 正覚寺に芭蕉の百カ日忌を記念して芭蕉塚を築き、追悼の意を表しました。その後、同寺には谷木因の墓をはじめ、美濃歴代宗匠の句碑などが建立されました。
大垣市教育委員会

大垣市指定史跡 芭蕉・木因遺跡
俳聖 松尾芭蕉の大垣来遊(四回)は、俳友 谷木因をはじめとした大垣俳人を訪れてのことである。
木因は芭蕉と同門で北村季吟から俳諧を学んだ。そのため、芭蕉との親交が深く、大垣藩士 近藤如行ら多くの俳人を芭蕉門下とした。
元禄七年(1694)芭蕉が大阪にて病没すると如行らは、これを深く悼み、正覚寺に路通筆「芭蕉翁」追悼碑を建てた。さらに、木因の死後、芭蕉と木因の親交を偲び、木因碑を建て「芭蕉・木因遺跡」とした。
大垣市教育委員会
説明板(二枚)より。

入るのに躊躇する、民家と民家の先に石碑が沢山あります。正覚寺に隣接する愛宕神社の方が、目立ています。

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