三塚城

三塚城([大垣城  周辺城郭])

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三塚城の口コミ情報

2022年10月30日 RED副将軍


氏家卜全の家臣であった種田兼久の居城跡🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。大垣城城主で美濃三人衆のひとりである氏家卜全の家臣であった種田兼久の居城。
1571年、種田兼久は伊勢長島一向一揆の鎮圧のため氏家ト全とともに出陣しましたが、撤退の際に殿をつとめ、氏家ト全とともに討死。
その後、氏家ト全の嫡男の氏家直重が大垣城主となり、弟の氏家行広が三塚城主となりました。
その後、1590年の小田原征伐で氏家行広は戦功をあげて桑名へ加増移封となった際に三塚城は廃城となった様です。

見所
現在は、真徳寺の境内と幼稚園の敷地となり遺構は消失。
まこと幼稚園の脇に城跡碑が立っています

写真
城跡碑①
真徳寺の脇に流れる川は堀の名残り?②
真徳寺の山門と本堂③④
門扉には六条藤紋⑤ということは本願寺大谷派

2021年10月16日 ▷☽◁猫耳萌え▷☾◁


築城時期は不明。
大垣城主 氏家ト全の家臣、種田信濃守兼久の居城とされる。
種田信濃守は、元亀二年(1571)伊勢長島の一向一揆攻めに、氏家ト全と共に出陣したが、撤退の際、殿戦しつつ石津郡太田郷安江村にて、氏家ト全と共に討死した。
その後、ト全の嫡子、氏家直重が大垣城主となり、その弟、氏家行広が三塚城主となった。
その後、行広は「小田原征伐」で功をあげ、伊勢桑名城へ、加増移封となり三塚城は、廃城になったと思われる。

三塚城は、真徳寺から、まこと幼稚園辺り一帯に築かれていたとされるが、宅地化が進み遺構等は残っていない。
幼稚園入口付近に、城址碑が立っているだけでも有り難い。

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