北塚
北塚([福束城 寺社・史跡])
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北塚の口コミ情報
2022年09月18日 前田利家猫耳メイド萌
慶長五年(1600)九月十五日に、関ヶ原合戦がありました。当時、福束城には、石高二万石の丸毛三郎兵衛兼利が居城していました。福束城は揖斐川沿いにあり、舟運の便がよく、重要な地点でありましたので、東西両軍から誘われましたが、丸毛氏は豊臣秀吉と親しかったため、西軍に加わりました。
関ヶ原合戦の前哨戦といわれる、八月十六日の夜半、東軍がひそかに大榑川を渡り、楡保村・十連坊村の集落に火を放ち、西軍を急襲しました。西軍は必死に戦いましたが敗れ、福束城は落ちました。
多くの両軍の兵が、原野を血に染め傷つき倒れました。戦いの後、村人は勝者敗者の区別なく遺骸を葬り、石仏を建て塚を築き、墳墓としました。
この地が、大藪の北部に位置するので、いつしか「北塚」と呼ぶようになり、地元では今も花や水を供えて弔っています。
説明板より。
北塚の南側に駐車場があります。